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今日の1枚:シベリウス、交響曲第4番(ロウヴァリ指揮)

シベリウス:交響曲第4番イ短調作品63、《森の精》作品15、《悲しきワルツ》作品44
Alpha, ALPHA1008
サントゥ=マティアス・ロウヴァリ指揮エーテボリ交響楽団
録音時期:2021年11月、2022年6月、2023年3月

 サントゥ=マティアス・ロウヴァリについては以前、フィルハーモニア管とのマーラーの交響曲第2番について文章を書きました。今回は彼がエーテボリ響との共演で継続して取り組んでいるシベリウスの交響曲ツィクルスから、最新リリースとなる第4番を採り上げます。
 ロウヴァリのシベリウスはこれまでに第1番、第2番と、第3番と第5番をカプリングしたものの、計3点のアルバムが出ています。番号順に録音が進んでいたところ、おそらくはカプリングの関係で第5番が先に出てしまいましたが、ひとつ飛ばされた第4番がようやく登場することになったわけです。
 フィンランド出身の指揮者がシベリウスの交響曲全集を作るのは、エサ=ペッカ・サラステ以来当たり前のようになっていて、最近では俊英クラウス・マケラがオスロ・フィルと全集を一挙に録音して話題となりました。マケラのシベリウスは、若々しい力感にあふれたもので、特に第4番は若さゆえとも言える勢いのよさ、押し出しのよい自己主張が際立った演奏となっていました。それに比べてロウヴァリの新盤はどうか。
 ロウヴァリによる第4番は、ひと言で言って、今までの誰の演奏とも似ていないユニークなものとなりました。それは何か奇矯なことをするとか、アクの強い自己主張を込めるとか、そういった類いのことではない。第1楽章冒頭など、力の入ったマケラなどよりもはるかに常識的に、弱音の連続から幕を開けます。しかし聴き進めていくに従って、この曲を聴き慣れた人は少しずつ違和感を覚えるのではないでしょうか。この曲に期待される模糊としたサウンドや神秘的・夢幻的な雰囲気は先に進むにしたがってどんどんと希薄になっていきます。これは、冒頭のチェロ独奏に始まり、旋律の歌い口に揺らぎが少なく、また頻出するクレシェンド・デクレシェンドの短い単位での交替もロマンチックな溜めとは無縁で、不要な意味を剥ぎ取られて純粋な音量の変化として置かれていくためのようです。特に印象的なのは、この不定形の音楽をソナタ形式に無理やりあてはめるならば提示部の最後と再現部の最後にあらわれる、トランペットとトロンボーンによる短いファンファーレでしょう。ロマンチックな思い入れを排して朗々と、晴朗に鳴り渡るこの一節はちょっと忘れ難いものとなりました。
 ただし、それは無味乾燥な音楽になったということではありません。ロウヴァリの指揮棒が常々みせる流れのよさ(このツィクルスでは前巻にあたる第3,5番から特に前面に出てきたように感じられます)が、ここでは絶大な威力を発揮していて、音楽は適度な潤いと洗練された歌を伴いながら、心地よく前に進み続けていきます。第2楽章でみせるリズム感のよさや楽句の受け渡しの流麗さに、そうした美点は如実にあらわれています。また全体を通して細部の明晰さ、各楽器の入りの明瞭さが高いレベルで達成されていて、それは強い透明感と鮮やかな色彩とをともに実現するための重要な武器となっています。その色彩の美しさは、管楽器のソロや重奏が頻出する中でリズムに意匠を凝らした第3楽章で堪能できることでしょう。
 そして終楽章。この謎めいたというべきか、特に終結部へと向かう動きの訳の分からなさが際立つ音楽において、ロウヴァリがみせる強い推進力と、思い入れを排除したいくぶん即物的な音の置き方は、コラージュ的な書法に一貫した結構を与えて、ひとつの説得力あふれる答えを提示し得て見事です。
 併録は《森の精》作品15の交響詩版と有名な《悲しきワルツ》。いくぶん遅めのテンポでたっぷりと歌う後者もよいですが、絢爛たる音絵巻が繰り広げられる前者は、特にロウヴァリの持ち味にぴったりのように思います。

(本文1523字)


Sibelius symphony no.4 by Rouvali


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