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今日の1枚:シェーンベルク:月に憑かれたピエロ(仏語歌唱版&歌唱抜き版)(マレスコ&ブルゴーニュ)

シェーンベルク:月に憑かれたピエロ(仏語歌唱版&歌唱抜き版)
Klarthe, KLA143
ジェシカ・マルタン・マレスコ(ヴォーカル)
ギヨーム・ブルゴーニュ指揮アンサンブル Op.Cit
録音:2022年6月26−27日

 アルノルト・シェーンベルクの代表作のひとつである《月に憑かれたピエロ》は、ベルギーの象徴派詩人アルベール・ジローが1884年に発表した連作詩50編をオットー・エリッヒ・ハルトレーベンがドイツ語に訳したものから、21編を選んでテクストとしています。ただし、ハルトレーベンの訳は、原詩が墨守している八音綴かつABba abAB abbaA(B)のかたちで脚韻を踏むロンデルといういささか古風な形式は一顧だにせず、自由律を採用した上で、かなり大胆な変更も加えたものでした。
 ベルリンのキャバレー音楽に想を得たというシェーンベルクは、語りと歌との中間をいく「シュプレヒシュティンメ」の歌唱法で歌われるこの歌曲集について、当初は演奏される各国の言語に翻訳して歌い、語られることを望んでいたといいます。しかしながら1922年、ジャック・ブノワ=メシャンのアダプテーションを用いたフランス語版の《ピエロ》を聴いたシェーンベルクは、その出来映えにがっかりし、「自分の作品には聞こえない」とまで言ったと伝えられています。これはブノワ=メシャンのアダプテーションに問題があって、フランス語の韻律法と、シェーンベルクの楽譜に見られる拍節やアクセントの処理が、あまりに不調和だったからでした。
 しかし1980年代以降、ジローの原詩の重要性が再評価され、シェーンベルクの《月に憑かれたピエロ》をフランス語で、という試みが再燃します。ヌーヴォー・ロマンの作家として知られるミシェル・ビュトールはミシェル・ロネとの協同で1982年に、ハルトレーベンのドイツ語訳をフランス語に戻すという試みを行いました。また1995年にはアメリカの作曲家ラリー・オースティンが《変奏曲:ピエロを超えて》という作品を発表し、シェーンベルクの楽譜を抜粋、ときにはハルトレーベンの訳で、ときにはジローの原詩で、またときには英語や日本語への翻訳でソプラノ・パートを歌い、そこにテープ音楽やライヴ・エレクトロニクスを重ねてマルチ・リンガルな《ピエロ》を夢想してみせました。
 さて、当盤は指揮者のギヨーム・ブルゴーニュが、ハルトレーベンのテクストとシェーンベルクの韻律法に則したかたちでジローの詩を改変したフランス語版による《ピエロ》が収録されています。ジローの原詩通りで楽譜にはまる箇所(例えば第1曲冒頭など)はそのままに、そうでない箇所は単語を言い換え、構文を改めて、自然な抑揚とともにテクストが語られ、歌われるようになっている。シェーンベルクが意図的に際立たせた単語には、きちんとその単語の訳をはめるなど、楽譜を見ながら聴いていると、その巧みさに感心させられることしきりです。
 面白いのは、強弱のアクセントが明確であり、かつ音節の長短が重要であるドイツ語のために書かれたシュプレヒシュティンメの描く線が、強弱・長短のはっきりとしたアクセントを用いないフランス語を乗せたことで、通常の意味での旋律にぐっと近づいていくことです。これはもちろん、ここでヴォーカルをとるジェシカ・マルタン・マレスコの、演劇的な身振りと歌曲としての歌い口の両方に目を配ったスタイルにもよることでしょうが、その流動感は、《ピエロ》に想を得て書かれたというモーリス・ラヴェルの歌曲集《マラルメの三つの詩》にどこか通じるものがあるようにも思えます。
 当盤はこのフランス語版の《ピエロ》に加えて、シュプレヒシュティンメのパートを省いた器楽アンサンブル版の《ピエロ》が併録されています。いわばカラオケ版。少々つまみ食いして比べてみると、前半の録音から歌を消したのではなく、あらためて全曲を録音しているようです。これはこれで、アンサンブルの絡み合いが面白く聴けて、なかなかに勉強になります。


Schoenberg, Pierro Lunaire

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