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今日の1枚:ブラームス、交響曲全集(ネゼ=セガン指揮)
ブラームス:
交響曲第1番ハ短調 Op.68
交響曲第2番ニ長調 Op.73
交響曲第3番ヘ長調 Op.90
交響曲第4番ホ短調 Op.98
Deutsche Grammophon, 4866000
ヤニック・ネゼ=セガン指揮ヨーロッパ室内管弦楽団
録音時期:2022年7月(第1番、第2番)、2023年7月(第3番、第4番)
![Brahms, Nézet-Séguin & COE](https://assets.st-note.com/img/1720886350765-I7p5lS93HN.jpg?width=1200)
ヤニック・ネゼ=セガンはヨーロッパ室内管弦楽団と共演して、これまでシューマン、メンデルスゾーン、それにメンデルスゾーンの交響曲全集を作ってきました。今回の新譜はそれらの続く1点というべきか、ヨハネス・ブラームスの交響曲4曲を収めたアルバムです。
「室内管弦楽団」といいますが、ヨーロッパ室内管はその名が想像させるほど小さい編成のオーケストラではありません。今回の録音では、各曲で第1,第2ヴァイオリン併せて18名、ヴィオラは7名、チェロが6名、コントラバスが4名という編成を採っています。また音の録り方もあるのか、確かに第4番第1楽章あたりを聴くと弦の人数の少なさが実感されますけれども、けっして薄っぺらな印象は与えない。その一方で管楽器もサウンドの中で過剰に優位になることはなくて、どちらかと言えば弦の少なさを自らに利して、がなり立てることなく楽々と音を出せる音量に徹しているようです。例えば今挙げた第4番第1楽章、第2主題でのホルンと弦楽器のユニゾンの音量バランスのとり方や、第2番第4楽章コーダでの、易々と豊かに鳴り響く金管楽器群の強奏などは、その典型的な例と言えるでしょう。この肩肘張らずに弱奏から強奏までを鳴らしていくスタイルは、ここでの演奏が与える印象の大きな部分を決めているように思います。
ネゼ=セガンは私が今その録音に大いに期待し、注目している指揮者のひとりです。この人の演奏は、停滞しない快適なテンポを採りつつ、旋律の表情や各楽器群の距離感の作り方、強弱の繊細な抑揚、テンポが変化したり、音楽が頂点に達したりした時のふとした間合いの活かし方などを実に綿密に彫琢していく。その情報量の多さが、曲想に応じてテンポ設計などを用いて絶妙に加減され、けっして聴き手の胃がもたれるほどに押しつけがましくならない、そのセンスのよさに、どの録音を聴いても感心させられます。
今回のブラームスでは、一聴目につくのが、テンポの快適さです。全体に速めのテンポが採用されているのに加えて、見栄を張るような大きな溜めは避けられていく。第1番第1楽章での、まったく大仰ぶらないスイスイとした始まり方には驚かれる向きも多いことでしょう。
でも、だからといって音楽が調子よく、勢いよく(悪く言えば一本調子に)前に進んでいくかというと、そうではない。よく聴くとテンポはあちこちで微妙に変化しているし、また微かな変化のうちに、明確な気分の動きを感じさせてくれます。今挙げた第1番第1楽章の序奏にしてから、常識外れに軽く、勢いよく始まりつつも、途中から慣習的なテンポの揺らぎを採り入れて、音楽の歩みを味わい豊かなものに仕立てています。また、表現の上でも丁寧な工夫が凝らされていて、例えば第3番第1楽章、管楽器群の和音に続いて4分の6拍子に乗って弦が第1主題を歌い出しますが、強奏で始めつつ楽節ごとに音量を微妙に減衰させていって、その足どりに不思議な曲折を刻み込んでいくのは強い印象を与えることでしょう。(ちなみにこの曲についてはフィラデルフィア管とのライヴ録音も、同管の自主制作で世に出ていますが、こうした演出も含めて、細部の彫琢の行き届き具合ではヨーロッパ室内管の完勝です。)あるいは第4番第4楽章のパッサカリアも、各変奏を大きく隈取り、特に緩いテンポの変奏ではたっぷりと時間をかけて、濃やかな陰翳を映し出すネゼ=セガンの戦略が心に残ります。
おそらくここでの彼は、速めのテンポを採りつつも、ブラームスらしい逡巡やある種の回りくどさを音楽から追い出そうとはせず、慣習的な表現を絶妙な匙加減で盛り込んだ、新たなブラームス解釈を打ち立てようとしているのではないでしょうか。特に先述の第3番第1楽章や第4番第1楽章での、繊細で陰の濃い歌い回しを聴くと、そのことが強く感じられます。
その中で第2番は、ほんの少しだけ毛色が違うかもしれません。テンポ変化はほとんど目に付かぬ範囲に押しとどめられ、他の曲で聴かれたような繊細な強弱の交替も抑制気味、ときにためらうような間合いを挿みつつも、旋律は息の長いフレージングを主体に、よく歌い継いでいくことに意が用いられています。それは4曲の中でもことさらに陽光を感じさせるこの曲の性格を反映したものなのかもしれません。それでも、ふとした瞬間にその陽光に翳りがはしったり、優しくも深みある憂愁が漂ったりする。ちょっと一筋縄ではいかない演奏が繰り広げられています。そして終楽章は、冒頭からティンパニを利かせた力強い響きを聴かせながら、全体としては非常に辛抱強く、長大な階梯を確実に昇り続けて大きなクライマックスを描き出す、その集中力の高さに目を見張らされます。4曲ともに練りに練った力演ですが、どれか1曲を、と問われたなら、今の私は第2番を採るかもしれません。(ネゼ=セガンの個性そのものは、他の演奏の方が色濃く出ていることは承知の上で。)
あと、ひと言言っておきたいのは管楽器の活躍です。全4曲のあちこちで、木管楽器に長大なソロが与えられることがありますが、それらはどれも自発性強く、たっぷりと、心ゆくまで歌い上げられていく。それらに出会うのもこの盤を聴く楽しみのひとつです。