今日の1枚:ドビュッシー《練習曲集》ほか(オズボーン)
クロード・ドビュッシー:
練習曲 L143
ピアノのために L95
レントより遅く L128
英雄の子守歌 L140
見出された練習曲
Hyperion, CDA68409
スティーヴン・オズボーン(ピアノ)
録音:2021年8月4日&2022年12月7日-9日
スコットランド生まれのピアニスト、スティーヴン・オズボーンによるドビュッシー作品集は、2006年録音の《前奏曲集》全曲に始まり、これが4枚目となります。ドビュッシーの独奏曲のおおよそはこの4点に収録されているので、これがツィクルスの最終巻と考えていいでしょう。第1弾であった《前奏曲集》と2点目となった《映像》《版画》ほかを収めたアルバムとの間は10年ほど空いており、ひょっとしたら《前奏曲集》リリースの時点では全集録音を考えていなかったのかもしれません。しかしながら、安定した技巧の上に描写的な語り口の巧さと豊かな詩情をのせた《前奏曲集》の優れた出来映えには、オズボーンのドビュッシーがこれ1枚に終わることを惜しませる力がありました。最終的に独奏曲全集のかたちになったのは当然といえるのかもしれません。日本のレビューであまり話題になったのを見ませんでしたが、オズボーン盤は今世紀のドビュッシー録音の中でも、際立ってすばらしい内容を誇るものと言っても過言ではありません。
さて当盤では、まず最初に《練習曲集》全12曲が置かれています。作曲家の晩年に書かれ、彼のピアノ語法の集大成となったこの曲集は、《前奏曲集》と違って具体的な描写性・標題性をもたず、ドビュッシー固有の音色と音響の探求が純粋なかたちで繰り広げられているので、アプローチも《前奏曲集》と同じという訳にはいかず、とは言っても指の運動ばかりに焦点をあてては面白みがない。演奏の難しい作品ですが、オズボーンはさまざまな音色を駆使する中で、一方ではいくぶん硬めの、発音の切れ味のよいタッチをいくぶん強調気味に聴かせ、また他方ではペダルを使って輪郭を曖昧にぼかした音槐を作り上げ、音の剛柔・硬軟の対比や変化を克明に彫琢しつつ弾き進めていきます。特に高声部で聴かれる硬い発音は、どこか往年のミシェル・ベロフの第1回録音を思い出させるところがありますけれども、ベロフが叩きつけるような荒々しさを輝かしい音色でカバーしつつ、まるで一筆書きのような、勢いのある即興的な演奏を繰り広げたのに対し、オズボーンは華麗な高音を多用しはしてもそれだけで大向こうを唸らせることなど念頭にはないようで、発音から音の終わり具合まで、丁寧に吟味しながら響きを積み重ねていきます。3度、4度、6度といった平行和音が精妙なレガートで紡がれていくのはもちろんのこと、第1曲「五本の指のために」や第7曲「半音階のために」を聴くと分かるように、強弱の抑揚にわずかなテンポの揺らぎを有機的に組み合わせて、旋律的な動きに繊細な息遣いの通う歌を与え、技巧的なパッセージはなよなよとした歌い口に逃げるでなく、十分な力感と整った発音を合わせ持ったサウンドに仕上げていきます。技術的な面白みを求める向きを満足させつつ、語り口に含みをたっぷりと宿して深みのある音楽を作り上げてすばらしいものとなりました。
続く《ピアノのために》の3曲は、古典的な組曲の体裁をとりつつ技巧的なパッセージが盛りだくさんで、どこか晩年の《練習曲集》に通じるものがあるように思うのですけれども、オズボーンは響きのレイヤーをきれいに分離し、ひとつひとつのレイヤーごとに固有の音色を与えて立体的な音楽を組み立てて秀逸です。以下、当時パリを席巻していたジプシー・オーケストラへのオマージュである《レントより遅く》(ワルツとなっているのは、ジプシー・オーケストラのレパートリーの柱のひとつがワルツだったからです)や《英雄的な子守歌》といった気軽に聴ける曲も、ハーワットの補筆した《見出された練習曲》も、とてもよい演奏を聴かせてくれて嬉しいばかりです。
(本文1513字)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?