今日の1枚:バッハ《ゴルトベルク変奏曲》(ポッジャー&ブレコン・バロック)
J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲BWV.988「リイマジンド」(チャド・ケリー編曲室内合奏版)
レイチェル・ポッジャー(ヴァイオリン)
ブレコン・バロック
Channel Classics, CCSSA44923
録音時期:2022年9月17-19日
ヨハン・セバスチャン・バッハの《ゴルトベルク変奏曲》は、彼の作品中でももっとも人気のあるものと言っていいでしょう。ピアノにおいてもチェンバロにおいても、腕に覚えのある演奏家がこぞって採り上げる大作で、最近ではヴィキングル・オラフソンによる録音も出ていました。オラフソンの、声部間のバランスを再構成すると同時に、既存の演奏ではちょっと聞かれなかったユニークなダイナミクスの設計をあちこちにみせる演奏も魅力的でしたけれども、ここではもう1枚の、負けず劣らず個性的な演奏を採り上げます。
《ゴルトベルク変奏曲》を鍵盤楽器ではなくアンサンブルで、という試みは、過去にも数多ありました。有名なのはドミトリ・シトコヴェツキーによる弦楽三重奏版あたりでしょうか。ディスク上ではフレットワークによるヴィオール・コンソート版なども楽しいものでした。このジャンルでの極北に位置するとも言うべきディスクはグスタボ・トルヒーリョ(1972−)による16声の合唱とバロック・アンサンブルのための編曲で、下敷きとなる原曲の音の動きを残しつつもまったく別の音楽を繰り広げるその音世界は、この曲を愛する人にはぜひいちど聴いてほしいものだと思います。
それに対しレイチェル・ポッジャーとブレコン・バロックが聞かせるチャド・ケリーの編曲は、ある意味オーソドックスであり、かつ別の意味では非常にフレッシュな視点を提供するものと言っていいでしょう。アルバムにはケリー自身によるライナーノーツが付いていまして、これが実に興味深い。《ゴルトベルク変奏曲》はある意味神格化された楽曲であり、《フーガの技法》がフーガという書法を純粋に突き詰めたのと同様に、変奏曲という形式を純粋に追求した大作だととらえられがちです。しかしケリーは、この作品が作曲された当時のバッハをめぐる文脈に注目します。1723年よりライプツィヒの聖トーマス教会のカントールの座にあったバッハですが、1930年にはすでに思い通りに行かぬことが起こるようになり、バッハはほかの土地への任官運動を画策します。異動先の候補として彼がリストアップした中にあった名前のうち、ドレスデンとベルリンはともにギャラント様式を世に広めた土地でした。バッハは流行の新しい様式を採り入れることができるという自らのキャパシティの広さを披露すると同時に、彼の音楽を「複雑で不自然」と評したヨハン・アドルフ・シャイベへの反駁としてこの曲を書いたのではないか、と言うのがケリーの主張で、新しい流行を我がものとすると同時に、カノンのような既に一時代前のものとなった書法を全体の軸にするという、過去と未来を同時に眺め渡すヤヌス的な視点に立つバッハがここには立ちあらわれている、というのです。ケリーはそうしたヴィジョンを出発点に、彼が接し、影響を受けたさまざまな音楽様式を反映させて、当時のバッハから見た過去と未来の交点に立つ合奏曲として全体を再構築(reimagine「リイマジン」)してみせます。
例えば冒頭のアリアは、原曲では低声の主題と高声の旋律、それらに絡む内声という対位法的な音の組み立てになっていますが、ここではヴァイオリン独奏とチェンバロの二重奏により、旋律とホモフォニックな和声、あるいは旋律とアルペジオというかたちに音が組み立て直されます。これはギャラント様式の方に完全に視線を向けた編曲と言っていいでしょう。こうした点を逐一解説し、意味づけていくには、私のこの時代についての知識はあまりに貧弱なのでこのくらいにしておきますが、装飾的な楽句の扱いや短い楽句の付加、チェンバロによる和声的な動きの追加など、耳慣れない音の動きが頻出して、実に楽しい世界が繰り広げられています。
合奏はポッジャーの独奏のほか、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、ヴィオローネ各1、フルート1、オーボエ2、バスーン、それにチャド・ケリーの弾くチェンバロが加わります。楽譜にある音のトランスポジションとしては多くの場合チェンバロ以外の合奏でほぼ完結しており、チェンバロは楽譜にない音をそこに添えていくのが主たる役割となっているというのも面白い。(その一方で、チェンバロが絡まずに純粋に管弦のアンサンブルのみで進行する場面をたくさんあります。)また変奏ふたつごとにひとつ挿まれるカノンでは、管楽器を使うことで各声部の動きをよく分離して聞かせてくれるのもありがたいところです。
あと、なかなかな聴きものなのが最後の追い込みです。第29変奏くらいから音楽はクライマックスを意識して少しずつ盛り上がりをみせる。大活躍を見せるチェンバロ独奏を前面に立てた協奏曲風の第29変奏から多彩な音色を武器に立体的な音を築く第30変奏を経て、合奏全体で奏でられる最後のアリアへと、途切れることなく進んで、軽やかながら風格漂う終結を迎える演出は見事と言うべきでしょう。
(本文2007字)