今日の1枚:チャイコフスキー、交響曲第5番ほか(ホーネック指揮ピッツバーグ響)
チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調 Op.64
シュルホフ:弦楽四重奏のための5つの小品(ホーネック/イル編)
Reference Recordings FR752SACD
マンフレート・ホーネック指揮ピッツバーグ交響楽団
録音時期:2022年6月17-19日
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のヴィオラ奏者から指揮者に転向したマンフレート・ホーネックは、2008年より音楽監督を務めるピッツバーグ交響楽団と共に一時日本のエクストン・レーベルからマーラーの交響曲など意欲的な録音をいくつも出していましたが、現在は米リファレンス・レコーディングスにレーベルを移して録音活動を行っています。現時点まで同レーベルでのアルバムはベートーヴェンの交響曲を中心に展開されている中で、チャイコフスキーについては数年前に第4番と第6番の録音がリリースされており、やや間隔を空けての続編となりました。これは、2006年の同曲ライヴが既にエクストンでリリースされていたためでしょう。
ホーネックとピッツバーグ響といいますと、個人的にはブルックナーの交響曲第9番が緻密な音響を構築していて強いインパクトを与えてくれましたが、ホルンなど一部の楽器に聴かれるいかにもアメリカ風の音色を嫌う向きも多かったようです。そうした音色のアイデンティティは一朝一夕には変わらないもので、ここでも金管楽器の明るい鳴り具合にアメリカのオーケストラ臭さを感じる向きもあることでしょうが、少なくとも私は気になりませんでした。チャイコフスキーの交響曲第5番第2楽章には、有名なホルンの独奏がありますけれども、音色を上手く艶消しした上で弱音を大切にした吹きぶりは、遅めのテンポでじっくりと歌い上げられるこの楽章の雰囲気によく見合ったものと思います。
さてホーネックの指揮ぶりですが、この人がオーケストラに求める響きの精緻さというのは、指揮技術・合奏技術に優れる現代のオーケストラ録音の中でも、一頭地を抜くものといっていいかもしれません。例えば第1楽章、2小節あるいは4小節といった単位で合奏がクレシェンドしていくときに、その過程で楽器の音量の出し入れをして響きの色合いを変えていく、しかも同じ音形がでるたびに同じ色合いを正確に再現する、というのは、単なる巧さを越えてアクロバティックにすら思えます。その他にも、第3楽章では各声部のレイヤーをきれいに分離させて、その中でホルンのゲシュトプトのような、ちょっとした音色の工夫をさり気なく、それでいてしっかりと聞かせるといった手際には唸らされるばかりです。
しかし、この演奏の面白い点は、表現の精度を突き詰める一方で、感情・心理の表出はむしろ淡泊に感じられることにあります。例えば歴史的名盤として常々挙げられるエフゲニ・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルのセッション録音(DG、1960年)も、厳しく合奏を統率し、精緻な表現を追求した演奏だけれども、情感的なものから完全に切り離されている訳ではない。ホーネック盤は旋律はたっぷりと歌っているし、強弱の振り幅の効果的な変化にも事欠かないのに、どうしてそのような印象を与えるのでしょうか。
実際に演奏をなさる方々がどう考えておられるかは存じませんが、私からみて、音楽における感情・心理の表出というのは強弱の変化とテンポの伸縮、そして拍節の表出具合の三つの要素を有機的に組み合わせることによって実現するように思います。ムラヴィンスキーの演奏は端正で厳格なものだけれども、強弱の変化に伴って微妙にテンポが伸縮していきます。そしてアウフタクト(小節の最終拍)から旋律が始まるときは、そこにわずかな拍節の揺らぎが生じる。しかもムラヴィンスキーは拍節の表出において強拍・弱拍の差、その差から生まれる運動性を大切にしていて、その結果としてそこに心の動きが見え隠れします。
それに対しホーネックの演奏は、テンポの伸縮に乏しい訳ではなく、特にアウフタクトでは次の強拍とのつながりを意識してわずかにテンポを動かします。しかしながら、ホーネックの指揮の下では強拍と弱拍の描き分けがほとんど感じられず、そのために強烈なアッチェレランドをかけたり、管弦楽を大きく咆哮させたりしても、それが濃厚な情感と結びつくことはない。
こうして書いてしまうと、まるでここでのホーネックの演奏にケチを付けているようですが、実際のところ、私はこの録音を非常に面白く聴き通しました。私はチャイコフスキーの音楽が、その大時代的な世界観や濃厚な情緒のために非常に苦手だった時期が過去に15年くらいあって、今でも後期交響曲あたりだと身構えてしまうのですけれども、表現を綿密に突き詰めながら情緒的なものと縁を切った、いわばスタイリッシュなアプローチを極めたここでのホーネックの演奏は、とても好ましいものに感じられます。
当盤にはチェコ生まれでナチスの強制収容所で命を落としたエルヴィン・シュールホフ(1894−1942)が1923年に書いた《弦楽四重奏のための五つの小品》を管弦楽に編曲したものが併録されています。ウィーンのワルツ、チェコのポルカ、タンゴ、タランテラなど、古今の民俗舞曲のスタイルをベースとした楽しい曲集で、ホーネック自身が原曲の演奏を聴いて管弦楽化を思い立ったというのも頷けます。全体にプロコフィエフを連想させるサウンドになっているのは、ホーネックのイメージなのでしょうか。しかし、音の組み立てに薄さを感じさせることがなく、弦楽四重奏の編曲しては手の込んだ労作と言っていいでしょう。
(本文2169字)
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