今日の1枚:コープランド《アパラチアの春》ほか(オクサリス)
「アメリカン・アルバム」
コープランド:『アパラチアの春』組曲(13奏者のための)
アダムズ:シェイカー・ループス(1978)(弦楽七重奏のための)
マルサリス:ミーラーン(2000)(ファゴットと弦楽四重奏のための)
Passacaille, PAS1154
アンサンブル・オクサリス
録音時期:2023年7月11,12日、9月10日
アーロン・コープランドが1944年に書き上げたバレエ音楽《アパラチアの春》は、舞踏家のマーサ・グラハムが自らのバレエ団が1930年代より継続して採り上げている、アメリカ合衆国の歴史と文化を題材とするバレエのひとつを書くようにコープランドに依頼したことから生まれました。シナリオの最初のタイトルは『勝利の家』で、『聖書』やネイティヴ・アメリカンの伝承など、さまざまな物語へのアリュージョンを含んでいましたが、ふたりのやりとりの中でシナリオは大きくかたちを変え、登場人物やエピソードが整理されて、どんどんとシンプルなものになっていきました。最終的に、当初のアイデアからは、19世紀にペンシルヴァニアの小さな村落に住み始めた新婚夫婦についての物語の部分が残されてバレエの中核を成すことになります。タイトルの《アパラチアの春》は初演の直前に、マーサ・グラハムによって付けられたもので、詩人ハート・ケインの連作詩『橋』からの引用だそうです。だから、この作品に春の気配やアパラチアの風景(それがどのようなものか、私は知らないのですが)を聴きとるのは誤りと言っていいのかもしれません。
しかし、この曲の特に序奏を聴いて、そこに何らかの風景、牧歌的で平和で穏やかな土地の気分を想起しない人は少ないのではないでしょうか。そのくらい、この序奏は絵画的な喚起力に優れている。それはおそらく、音楽が非常に静的であること、それでいて和声的な揺らぎを含んで、その定まらなさ加減が広大な空気感を醸していることに由来するように思われます。この序奏に始まり、夫婦の喜びや婚礼、そしてシェイカー教徒の賛美歌《素朴であることの才》による変奏曲とともに描かれるクライマックスと続き、序奏が回帰することでそうした木訥な暮らしが代々受け継がれていくことを暗示して終わるこの曲は、平明で庶民的な音楽を目指していた作曲当時のコープランドの方法論が作品の主題と合致し、シンプルであること自体に意義の備わった点に美点があると言えます。
13人編成の小さなオーケストラのために書かれたバレエ音楽《アパラチアの春》は1945年、変奏曲に続く劇的な部分をカットしたかたちで2管編成の管弦楽のための組曲に編曲されました。その後2管編成版の全曲版や13人編成版の組曲版も作られ、それぞれがいくども演奏され、録音されることになっていきます。
「13人編成版の組曲版」と書きましたが、これは初演時の楽器編成を受け継いでスコアリングされているということで、じっさいにその13人編成を順守することを想定してはいません。コープランド自身、この楽譜の冒頭に「弦楽器奏者は指揮者の判断によって第1,第2ヴァイオリン各8,ヴィオラ6,チェロ4,コントラバス2に増強してもよい」と注意書きを添えていますし、録音を聴くと小編成版を標榜しつつ、この指示に沿うかたちで弦楽器を複数名起用している演奏もあります。
オクサリスは1993年、ブリュッセル王立音楽院の学生によって結成された室内楽団体で、近代音楽を中心にセンスのあるプログラムと充実した演奏内容で聴き応えのあるアルバムを発表し続けています。特に定評あるジャンルはフランス近代音楽でしょうが、今回は「アメリカン・アルバム」と題して、コープランドの《アパラチアの春》、ジョン・アダムスの《シェイカー・ループス》、そしてウィントン・マルサリスの《ミーラーン》の3曲を収めたアルバムを発表しました。《アパラチアの春》同様、アダムスの《シェイカー・ループス》も本来室内楽編成を想定しながら、楽器の数を増やした弦楽合奏のかたちでよく演奏される曲ですが、ここでは両曲ともに各パートひとりの、オリジナルの編成で録音しています。
そしてこの《アパラチアの春》がすばらしい。各パートひとりのアンサンブルは表情付けが濃やかで、特に弦楽器は単純なクレシェンドやデクレシェンドにも、温もりのある表現が盛り込まれています。アンサンブルの縦の線の端正さは彼らの技術的な水準の高さを教えてくれますが、それだけでなく、唐突な曲想の転換を鮮やかに描き出して曖昧なところがない。また対位法的な絡み合いや、管楽器の独奏陣がハモりながら動く場面では、音量・音色のバランスが短い楽句においても、長い楽句においても安定していて、楽器がけっして迷子にならない。こうした点での難しさが剥き出しになってしまう小編成版において、これだけのバランスのよさを一貫して聴かせてくれる演奏はなかなかないように思います。そして、メリハリのよい演奏ながらその中に一貫して流れる気分を大切にしていて、作品の平穏さ、幸福感をきちんと聴き手に伝え得ている点は、見事と言うよりありません。
アダムスの《シェイカー・ループス》も前述の通り弦楽七重奏の最少編成で演奏されています。その贅肉のない、どこかがさついたような、鋭いと同時に独特の乾いた質感を打ち出した響きの面白さは、この編成ならではと言えるでしょう。
マルサリスがファゴット奏者ミラン・トゥルコヴィッチのために書いた、ファゴットと弦楽四重奏のための《ミーラーン》は、かつてマルサリスがカメラータ・レーベルにストラヴィンスキー《兵士の物語》を録音した際に、併録としてトゥルコヴィッチ自身の独奏による演奏が収められていました。ただし、こちらでは第2楽章と第3楽章の間に長いカデンツァが挿入されている点が、トゥルコヴィッチ盤とは異なります。ファゴット奏者としてはピーテル・ノイッテンの名前がクレジットされています。ファゴットが特殊奏法を含め大いに活躍するこの曲で、トゥルコヴィッチ盤はスウィング感の強さに一日の長がありますが、当盤ではジャジーな気分がやや薄めな上、アンサンブルの響きの豊かさが際立っていることで、ずいぶんとクラシック音楽寄りの解釈になりました。
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