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【小説】烏有へお還り 最終話

   最終話

『そーだ、こないださ。聞いてよ。俺、すごい久しぶりに電車に乗ったのよ』
『え、マジで』

『乗ってすぐのところに立ってたのね。で、ドアがプシューって閉まったらさ、目の前に佐久間さんの広告! ドアに貼ってあったんだけど、それがすーって流れてきたわけ。目ぇ合っちゃって、俺もう、あっ! ってなって、思わず挨拶しそうになってさあ』

『ちょい待ち、ちょい待ち。ストップよ。その前に一旦話戻して。え、サイちゃん電車乗るの? 今をときめくトップアイドルが?』
『そう、今をときめくトップアイドルが』

『自分で言っちゃうもんねー。やっぱ違うわ、カッコいいわー』
『いやツッコんでよ、頼むよ』

 イヤホンから流れる声にぼんやり耳を傾けていた田久保夏希の鼻から、ふっと息が漏れた。
 学校へスマホを持っていくことは本当は禁止されている。けれども、録音した昨夜のラジオを帰り道に歩きながら聴くことは楽しみのひとつだ。

 笑うような気分じゃなかったのに、サイちゃんの軽快なトークを聞いていたら惹き込まれていた。

『顔バレするでしょうよ、サイちゃんが乗ってたら電車の中パニックよ』
『いや、誰も気づかないよ。俺そんな売れてないし、そこまで人気ないし……って、言わすなよ! もー悲しくなっちゃったじゃん』

 なんで気づかないの。てか、サイちゃんが乗っているかもしれない東京の電車。ヤバい。めっちゃうらやましい。
 トークの区切りに曲がかかる。サイちゃんの所属するアイドルグループがリリースしたばかりの新曲だ。

 イヤホンを片方だけ外し、周囲に誰もいないことを確認すると、夏希はそっと口ずさんだ。けれどもそれが今日の嫌な思い出を蘇らせた。

 帰りのホームルームが終わり、気づいたら亜美たちの姿が消えていた。夏希が慌てて教室を飛び出すと、廊下の向こうへ小走りで去っていく三人の後ろ姿が見えた。夏希は教室へ戻って鞄を掴むと、亜美たちが消えた廊下の奥へ向かった。

 最近こういうことが増えた。休み時間や放課後、油断している夏希を置き去りにして亜美たちがこっそり逃げていく。それでも、

「やだな、こんなところにいたの。探しちゃったよ」
 わざと仲間外れにされていることに気づかないふりをして、へらへら笑うしかない。

 亜美たちの消えた突き当りを曲がると、階段と、使われていない空き教室に続く廊下とに道が分かれていた。

 廊下は静まり返っている。下校する生徒たちのざわめきが響く階段に向かって一歩踏み出したところで、誰も使っていない空き教室からかすかに声が聞こえた。

「ねえ、せっかくテスト終わったんだからカラオケ行かない」
 亜美の声だった。それに呼応するように、

「行きたーい」
「そしたら駅前行こうぜ」

 盛り上がる声が聞こえる。亜美たちだけでなく、男子が混じっているのがわかる。伊佐治たち三人だ。

 顔を出していいものか迷っていると、

「田久保はいいの?」

 伊佐治の声がした。突然自分の名を呼ばれてドキッとする。けれども次の瞬間、

「あー、あいつはいいよ」

 亜美の声が鋭く刺さった。下腹部がぎゅっと押されたような感触がして、耳の奥が痺れる。

「あいつさぁ、二年になってからうちらのグループ入ってきてさ。一年の途中で部活辞めたか知らんけど」

 亜美に調子を合わせるように、別の女子も、

「なんかちょっと違うんだよね」
「あいつ、すぐ暴走しない?」
「それ」
 最初はひそめていたはずの声が高くなる。

「あの写真さぁ、勝手にグループにあげたじゃん」
「誰にも見せんなって言っといたのに、なにしてくれてんのって」
「ふざけんなよマジで」

 女子たちの言葉に、伊佐治たち男子まで一緒になって笑い出した。

「あいつ、肌汚ねぇしな!」
 ウケを取るように、男子の一人が大声で言った。夏希の耳がカッと熱くなる。急いでその場を離れた───。


 気づいたら曲が終わっていた。サイちゃんのトークに耳を傾けようとしたが、もう内容が頭に入ってこなかった。

『ねえ、ちゃんと真面目にやってよ!』
 一年の時、部活で一番どんくさい同級生をくり返し責めた。

『せんぱーい、あいつ全然真面目にやらないんですよー』
 そう言って、上級生から強く指導してもらえるように頼んだ。だって、真面目にやらないやつが悪い。チームの足を引っ張るやつなんていらない。

 それなのに、気づいたら部内で居場所をなくしていたのは自分の方だった。



『ねえ、筧さぁ、あいつ来てなくね? ショック受けて休むのかな。テストなのに』
『下駄箱行って、見てこようよ』
 そう誘った時、亜美たちは『別にいいけど』と面白そうに笑っていた。それなのに。


 どうしていつも居場所がなくなるの。


 イントロが流れた。好きな曲だ。一番好きなのはサイちゃんだけど、グループのメンバーはみんな好きだ。
 やっぱり推しの曲はいい。じわりと心に沁みる。

『その曲、わたしも好き』
 ふいに声がした。驚いて振り返ると、知らない女性が笑顔でこちらを見ていた。

 知らず知らずのうちに口ずさんでいたようだった。慌ててイヤホンを外し、スマホを鞄に隠す。

『ミームハントの曲だよね』

 そう言われて驚いた。サイちゃんが自分で言っていたように、そんなに有名じゃない。学校では誰も知らない。

『誰推し?』
 尋ねられ、思わず「サイちゃん」と応えると、

『わかる。歌もダンスもトークも最高だよね』

 女性が手を打った。『わたしは箱推しかな』
「わたしも! みんな好き!」


 叫んでから我に返った。目の前にいるのが知らない人物であることを思い出す。


『ああ、ごめんなさいね、急に。つい、好きな曲が聞こえたものだから』

 女性が恥ずかしそうに笑った。なんとなく、小学校の時のスクールカウンセラーの先生と雰囲気が似ている気がした。


「珍しい。ミームハント知ってるなんて」
 ぼそりと呟くと、


『わたしも嬉しい。ミームハント知ってる人と会えるなんて』
 女性が目元をほころばせる。釣られて夏希の頬も緩んだ。

 風が吹いて、制服のスカートがはためく。夏希は鼻をひくつかせた。生臭いような、おかしな匂いがする。

『また話そうね』
 そう言って、女性が手を振る。ぺこりと頭を下げて、夏希は踵を返した。

 次の瞬間、ふと自宅を思い浮かべて気が滅入った。母は今ごろ、パートから帰っているだろう。

『もう帰ってきたの』
 その言葉と、面倒くさそうな表情が目に浮かぶ。

『あんたねぇ、道具を揃えるのにいくらかかったと思うの!』
 部活を勝手に辞めた時に、真っ先に母から言われた。それ以来、母との関係はずっと険悪だ。


「ダラダラしてないで勉強しろ!」
 家にいるだけで怒鳴られる。だから放課後も亜美たちとつるんでいたのに。明日からどうしたらいいだろう。


『また話そうね』
 そう言ってくれたさっきの人を思い出す。振り返るが、もうそこに姿はなかった。



 もっと話せばよかった。夏希は肩を落とした。ミームハントの話ができる相手なんて、すごく貴重なのに。


 SNSで知り合った相手と推しの話で盛り上がることはできるけれど、たまにはリアルの相手とも話したくなる。


 夏希はポケットからイヤホンを取り出すと、耳の穴に入れた。


 また会えたらいいな。さっきの女性を思い出そうとしてみたが、うまく顔が浮かんでこない。


 次に会えたら、その時はもっとたくさん話がしたい。


 だって、誰かととりとめのない話をするなんて、ずいぶんと久しぶりだもん。







                              おわり

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