【小説】もうひとりの転校生 第12話
第12話
「今から二年前、やはり展示会で、その頃の最新だった競泳用スイムスーツが盗まれたのです」
会場の奥にある更衣室を借り、拘束した板野をひとまず閉じ込めた。太田と小島に見張りを頼み、他の後輩たちには元の仕事に戻ってもらった。
「その時の犯人も、あの板野って男なんですか」
俺の問いに、名古屋の支店長が苦い顔で首を振る。
「いえ、彼はその責任を取って辞めさせられた者です」
俺は目を瞠った。「ということは、彼はもともとうちの会社の人なんですか」
更衣室の前の廊下で、彼は声をひそめながら事情を話してくれた。
「彼はとても有能な男でした。しかし結果ばかりを重要視して、人の気持ちを置きざりにしてしまうようなところがありました」
彼が重いため息をつく。当時はまだ支店長ではなく専務だった。板野のことは入社時からよく知っていた。
「時に、上司ですらないがしろにしてしまうこともあり、反感を買っていたのかもしれません」
そのせいか、盗難事件が起こった時の周囲の反応は冷たかった。板野は責任を取るという形で会社を追われた。それと同時に当時の名古屋支店長も異動になり、専務だった彼が支店長に就任した。
言われてみれば、当時そんな噂を耳にしたかもしれない。しかし、細かい部分までは知らなかった。
「逮捕されるとしても、彼には自首を勧めたい。勝手なお願いかもしれませんが、少し待ってて頂けませんか」
名古屋の支店長がドアの向こうへ消える。入れ代りに、見張りをしていた二人が部屋から出てきた。
「どうだった、中の様子は」
声をひそめて尋ねると、
「最初は、また暴れ出すんじゃないかと内心バクバクだったんですけど。もうそんな感じ全然なくて」
「なんか、ぼーっとしてましたね。目が死んでるっていうか」
まだ少し興奮状態の二人が矢継ぎ早に言う。二人を仕事へ戻し、廊下で支店長が出てくるのを待った。
五分もしないうちに、ドアが開いた。その厳しい表情に、
「どうでしたか。彼は説得には応じましたか」
遠慮がちに尋ねた。彼が暗い顔で頷き、
「ほとんど反応がなくて……自首した方が罪が軽くなるからと伝えても、どうでもよさそうでした」
そう言って深くため息をついた。本気であの男を心配しているのが伝わり、俺の胸も痛む。
「あの……俺も話してみていいですか」
俺の問いに、彼が目を瞠った。ひそめた眉に、いくつかの疑問符が貼りついている。
「彼にどうしても聞きたいことがあるんです。よかったら、同席して下さって結構です」
俺の言葉に、名古屋の支店長は少し思案してから小さく頷いた。
部屋に入ると、板野は床の上にあぐらをかいていた。凶器にされることを恐れてか、椅子は部屋の隅に片付けられている。
板野は俺たちに目を向けようともせず、ぼんやりと視線をさまよわせていた。
「わたしは本社のおおし……前田です」
あやうく本名を口にしそうになり、慌てて言い直した。支店長が不思議そうにこちらを見るが、板野は顔も上げない。
俺は彼の正面の床に膝をついた。
「教えてもらえませんか。どうしてこんなことをしたんですか」
板野はちらりと俺の姿を見止めると、大儀そうに口を開いた。
「あんた、警察じゃねえだろ」
「違います」
「じゃあ、なんでそんなこと聞くんだ」
投げやりな口調だった。「俺はもうこの会社と関係がない。本社だからって命令するな」
「命令じゃありません。ただ、あなたがどんな気持ちでこんなことをしたのか、知りたいんです」
本心から知りたかった。好奇心といえばそれまでだ。けれども、ひょっとしたら彼も聞いてほしいのではないか。そんな気がした。
板野は黙り込んだ。さっきまでのさまようような視線ではなく、考え込んでいるように一点を見つめている。やがて、彼が口を開いた。
「知りたかったんだよ」
まるで独り言のように呟く。
「辞めさせられたのは、俺だったからなのか。それとも、同じことが起きれば、誰でも辞めさせられるのか」
俺は目を瞠った。意外に感じた。
自分の行動で、相手がどう反応するのか知りたい。それは興味だ。根底にあるのは、理解したいという気持ちだ。
こんな形ではあるものの、彼からのひとつのメッセージに思えた。うちの会社への。
「もし、もう一度、うちの会社で」
勝手に口から飛び出した言葉が、そこで切れる。しかし俺は彼を正面から見て、ぐっと腹に力を込めた。
「もう一度、うちの会社で働けるとしたら、あなたはどうしますか」
最後まで言葉を振り絞る。
「はあ?」
板野が目を剥き、初めて俺の目を見た。
「なに言ってんだ、あんた」
俺は黙ったまま板野の目を見返した。沈黙が横たわる。
「雇うわけないだろ、俺を」
板野がかすれ声で呟いた。険しい表情の奥に、怯えたような色が見える。
「それは、もし雇われるならもう一度働きたいという意味ですよね」
返事は無い。けれども、無言であることが答えだ。そう思った。
「あんた、変わってんな」
板野は表情を緩ませると、不思議なものを見るように俺をまじまじと眺めた。
そこに小さな光を見た。
『目が死んでるっていうか』
──まだ死んでない。生きてる。
「ちょっと待ってて下さい」
そう言い残し、俺は支店長と板野のいる部屋を後にした。