【小説】もうひとりの転校生 第2話
第2話
「おい、お前どうしてそんなに冷静なんだ」
さっきから、転校生だのSFだの、いわゆるアレだのと言っているが、この状況で冷静でいられるのは怪しくないか。
そもそも、こいつはどうして非常階段なんかにいたんだ。
俺にはれっきとした理由がある。結婚してから今年で五年、体重が十キロも増え、腹が出た。
愛する家族を守るため、身体を鍛えることに決めた俺は、通勤時には一駅手前で下りて会社まで歩き、社内ではエレベーターを使わずに階段を使うようにしている。始めたのは先週からだが。
会社に到着し、階段を駆けあがったところで、降りてきたこいつにぶつかって二人で転がり落ちたのだ。
「別に冷静なわけじゃない。ただ、この先のことを考えていた」
同期の言葉に、俺もぴりっと背筋が伸びた。
『失敗した時に、失敗したことを考えるな』
俺と同期の直属の上司がよく口にする言葉だ。
失敗は誰にでもある。その後のフォローにベストを尽くせ。上司はいつもそうして、切り替えの大切さを説いてくる。憧れの存在だ。
こいつに気づかされたことは悔しいが、今は「どうして」とくり返していても仕方がない。
「そうだな、この先のことを考えよう」
勢い込んだものの、その先が出ずに言葉に詰まった。救いを求めるように同期に目をやる。
「俺たちの心と身体が入れ替わっただなんて、誰にも信じてもらえないだろう」
同期の言葉に頷いた。社内の誰に話したところで、つまらない冗談だと笑われるに決まっている。
「それで?」
尋ねると、同期はじっと考え込み、
「元に戻るまで、お互いがお互いに成りすまして生活するしかない」
「冗談じゃない!」
俺は目を剥いた。声がひっくり返る。同期が顔をしかめた。
「お互いに成りすますってことは……お前、俺の家に住むつもりかよ!」
俺の城。一昨年妻が二人目を身ごもったのをきっかけに、購入したばかりの新居。四人家族にちょうどいい3LDK、都心からはいくぶん離れているが、新築のマンションだ。
ローンはきっちり三十年。和室はないものの、リビング内に小さな小上がりの畳スペースがあるのが気に入っている。
妻のためのキッチンカウンター。柱には、四歳の長女の身長を図るためのメモリのついたシート。最近、あちこち動き回るようになった一歳の息子のためのベビーゲート。
そんな愛着ある我が家に、俺の顔をしたこいつが帰っていくというのか。
「仕方ないだろ」
「ふざけんな!」
いつも冷静な同期なら絶対に出さない甲高い声が俺の喉から飛び出すたび、同期は怖い顔をして俺を睨んだ。
その顔はいかにも気難しそうで、こんなやつを家に入れたら妻や子供たちはきっと怯えるに違いない。
「その必要はない。うちの妻には俺が説明する。必ずわかってくれるはずだ」
胸を張った。そのことには一分の疑いもない。妻ならきっと、たとえ同期の肉体を借りていても、俺が本物だとわかるはずだ。
妻の顔を思い浮かべた。三十歳専業主婦、趣味は手芸とお菓子作り。SFに詳しいとは思えないが、きっと俺の言葉を信じてくれる。
「──夫婦の絆が強くて結構」
同期が白々しい口調で言った。くそ、俺の言葉を信じてないな。まあ当然だ。独身のこいつなんかに、夫婦の絆が理解されてたまるか。
しかし次の瞬間、同期の口からもたらされた事実に、俺は打ちのめされた。
「だが、残念ながら俺は今日から名古屋に二泊三日の出張だ。そして、俺はお前だ。だから、お前が行ってくれないと困る」
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