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【短編小説】徒労の人 ~なぜ書くのか~ 第1話
第1話
窓の外は、とめどなく雪が降り続けている。
真っ黒な空には、雪雲がどこにあるのかさえわからず、いつ止むとも知れない。
雪は音を吸収する。ペンションの中は奇妙に静まり返っていた。部屋に集まった数人の男女が、時おり息を呑む音さえも伝わってくる。
「……やっぱりわたし、行ってきます」
沈黙を破ったのはオーナーの妻だった。全員の視線を受けた彼女は一瞬だけためらうと、
「この雪でも、なんとか麓に辿り着くことはできると思うんです。そうしたら、助けを呼ぶこともできますし」
言葉を切り、小鼻に力を込めた。泣くのをこらえるように、喉を上下させる。
「……このままじゃ、あの人が可哀想……」
そのとたん、誰かの口から呟きとも取れるような吐息が漏れた。同じように、他の者たちも小さくため息をつく。
全員が頭に描いているのはおそらく同じだろう。地下の食糧庫で発見された、オーナーの遺体。そして客室で発見された、自称ジャーナリストの遺体。
「警察に知らせてきます」
オーナーの妻が力強く言った。ハンカチを外した目元はもう濡れておらず、唇を強く引き結んでいる。外部との連絡を遮断されたペンションで、助けを求める方法は他にない。
「そうよ! 早く行ってきてよ! こんなとこ、もうたくさん!」
耐えきれなくなったように、一人の女が泣き崩れた。真っ赤な口紅をした四十代くらいの女性だ。身に着けているものはブランド品で固められている。
「でも、こんな吹雪の中、車も動かないのに歩いて麓まで行くなんて、危なすぎるんじゃ……?」
若いカップルで訪れていた男の方が、おずおずと言った。
「だったらどうすんのよ! このまま黙って黒い雪男に殺されるのを待つって言うの!」
女性の金切り声に、カップルの女の子の方が口元を覆い、鼻をすすり上げた。男が彼女の肩を抱く。
「待ってください。ここを出ないで下さい」
その声に、全員の目が注がれた。立ち上がったのは、奇妙な格好をした女子高生だ。水色のノースリーブのロングドレスを着ており、その上に羽織っている上着はマントのように長く裾が広がっている。生地は透きとおるほど薄い。おまけに、頭には金髪のかつらをかぶっている。
ペンションの中は暖炉があり、各部屋にも暖房がついていて暖かいが、外に出れば気温はマイナスだ。あまりにも薄着なのは誰の目から見ても明らかだった。
「なんつう恰好してんだよ」
呆れたように言ったのは、一人でこのペンションに訪れた三十代くらいの男性だ。そういう自分も柄の入った派手な色のシャツを身に着け、常にサングラスを外さない。
「あれ? さっきと違うドレスになってません?」
カップルの女の子の方が指摘した。同意を求めるように男の方に顔を向けるが、彼は「そうだっけ」と首を傾げる。
「さっきまで着ていたのは戴冠式バージョン。こちらの衣装は、エルサが覚醒した時のものです」
ドレス姿の女子高生が誇らしげに言った。若いカップルの女の子だけが小さく「ああ」と頷き、それ以外の面々は困惑顔を見合わせた。暖炉の前に座っている老婦人だけが、一人沈黙を守っている。
「このペンションを出ないで下さい」
女子高生がオーナーの妻に向かい、重ねて言った。
「でも……」と戸惑う様子の彼女の言葉を受けるように、カップルの女の子の方が、
「やっぱり、助けを呼びに行った方がいいんじゃないですか」
と呟いた。
「このままでは、また新たな犠牲者が出ないとも限らないですし」
「そうだよ! 黒い雪男がどこに潜んでいるのか、わかんねえんだからよ」
サングラスの男が大きな声を上げ、自分の言葉に怯えたように首をすくめた。真っ赤な口紅の女が震えあがり、カップルの男が恋人の肩を抱く指に力を込めた。
ドレス姿の女子高生がふっと口元をゆがめた。顔を上げ、一同を見回す。
「黒い雪男なんていません」
全員が言葉を失い、目を瞠った。彼女は窓辺に近寄ると、両腕を組み、肩越しに振り返る。
「オーナーを殺した犯人は、この中にいます」
オーナーの妻ははっと息を呑んだ。カップルの女の子は手で口元を覆い、男の方は眉を寄せる。サングラスの男は、挑むような視線を投げかけ、真っ赤な口紅の女は顔を反らす。老婦人はじっと黙ったままだった。
「先ほど、わたしは仕掛けをしました。犯人はおのずと名乗り出るはずです」
「ちょっと待ちなさいよ!」
真っ赤な口紅の女が叫んだ。「あんたには、その犯人がわかってるって言うの?」
「はい」
ドレスの女子高生は、窓枠に片方の手をかけたまま、身体ごと全員に向き直った。
「それならはっきり言ってよ! この中に人殺しがいるっていうなら、早く教えなさいよ!」
「どうせハッタリだろ」サングラスの男が首を振る。オーナーの妻が前に進み出た。
「お願いします。教えて下さい。犯人は一体誰なんですか?」
女子高生はそれには応えず、ゆっくり進み始めた。部屋を半周し、暖炉の前で歩みを止める。
暖炉の前の椅子に座っていた老婦人がふと顔を上げた。女子高生の顔を見上げる。全員の注目が集まった。
女子高生は暖炉を背にして振り返ると、右手を上げ、一人の人物を指さした。
「ジャーナリストとオーナーを殺した犯人、黒い雪男は……あなたです!」