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【短編小説】逆ナンのすゝめ 第9話
第9話
「本当に助かりました」
墓地を出てバス停に向かいながら、ちはるがぽつりと呟いた。
「沙都子さんのこと、安心してロンドンに行かせてあげられます」
ふいに立ち止まり、深々と俺に頭を下げる。
「海斗さんのおかげです。ありがとうございました」
黒い髪が肩を滑ってさらりと流れる。
おしまいの合図。知っている。偽の恋人は、一日だけの魔法なのだ。
歩き出した。墓地の周りはなにもない広い空き地で、国道はずっと遠くに見える。
「ひとつ、聞いていいかな」
聞きたいことはいろいろあったけれど、どうしても気になることを、ひとつだけ。
「俺のこと知ってたの?」
ちはるはうつむき、口元を手で隠した。
「実は」
と言いにくそうに言葉を切る。
「街で女の子に声をかけているところを、何度か見かけたことがあるんです」
「そっか」
見られていたのか。改めて言われると、なんだか恥ずかしいな。
「どうして俺に──」
言いかけてやめた。質問はひとつだけの約束だ。
バス停が見えてきた。彼女が腕時計に目をやる。その横顔に、俺は声をかけた。
「あのさ」
ちはるが顔を上げてこちらを見る。
「さっきの話だけどさ、きみの両親は、きみに悲しい思いをさせたくなかったんだと思う」
ちはるは黙ったまま固い顔でこちらを見ている。なにか言いたそうな顔をした時、田舎道をやってきた車が、埃を立てながらそばを通り過ぎた。
ちはるは口を噤み、俺を見つめる。
「伝え方はまずかったと思うし、許してあげろなんて言わないよ。でも」
言葉足らずの愛。傷つけるつもりじゃなかった。大切だから幸せになってほしかった。
それなのに。
ちはるは顔をこわばらせたまま黙っている。怒っているようでもあるし、泣くのを我慢しているようにも見えた。
「ご両親の言葉で、傷ついてほしくないんだ……きみに」
ちはるはぎゅっと顔をゆがめると、ふいに踵を返した。バス停とは違う方向へ歩いていく。
嫌われちゃったかな。でも仕方がない。余計なことを言ったのだから。
通りの向こうからバスが姿を現す。彼女の後ろ姿を目で追ったが、戻ってこようとはしなかった。
去っていく女の子を見送る時。男として、こんなに寂しいことはない。