【小説】日曜日よりの使者 第4話
第4話
外の世界が明るい。わずかに開いた目に、シーツが跳ね返した白い光が飛び込んできた。
もう一度目を閉じる。瞼の裏の黒い幕の上を、白い粒がもぞもぞと動いている。
いつものように、視覚が初めに働き出す。
布団が柔らかい。視覚に手を取られ、触覚が目を覚ます。ほんの少し肌寒さを感じ、足元に蹴り飛ばされた毛布に手を伸ばす。
反対に、意識は目覚めるのを拒否する。人に姿を見られたヤマネのように、慌てて元の場所へ戻ろうとする。
なにかの家電製品のモーター音が耳に届く。動き出した胃袋が空腹を訴える。ゆっくりと脳が目覚め、身体が起動していくのがわかる。
乱暴なアラームは存在しない。眠りの世界ごと叩き壊されることはない。時間をかけて水の底から浮き上がる。
僕はまだ目を閉じたまま、さっきまで見ていた夢を反芻していた。
日曜日の国に来てから、よく夢を見るようになった。正確に言えば、見た夢を覚えていられるようになった。
きっと目覚めは、本来こうして迎えるものだったんだ。僕は確信する。これまでは不当に払い続けてきた。その代償を清算してやる。
戻ってきた意識に合わせて、布団の中で両腕と両足を伸ばした。自然と口元に笑みが浮かぶ。気分がいい。
身体を起こしたとたん、今すぐ食べ物を入れろと胃袋が主張し始めた。もう昼か。腹の減り具合で、経過した時間を計るのがすっかり得意になった。
キッチンでお湯を沸かす。トイレから戻ってきたところで、ケトルがけたたましい音を鳴らした。
レトルトのカップスープにお湯を注ぎ、食品庫からパンを出した。冷凍食品のパスタを電子レンジに入れる。
テーブルの上に広がっていたものを隅に寄せた。足元に転がったものを避けながら、出来上がった食べ物を運ぶ。
左手でリモコンを操作しながら、右手だけで食べ物を口に運んだ。空っぽの身体に、糖質が染み渡る。
「あち」
よそ見をしていたら、スープをこぼしていた。胸元がじわりと熱い。急いで脱いだ。
尻をつけたまま床をはいずり、部屋の隅に転がっていた服を手に取った。肘の内側になにかざらざらしたものを感じる。パンかお菓子のカスだろう。
そろそろ洗濯をしなくてはいけないかな。袖を通したTシャツはくたくたで、わずかに臭うような気もした。
気が向いた時だけ洗濯をするが、面倒なので下着も服もあまり取り替えない。
目を覚ますとたいてい昼近くなので、気づけば太陽は真上を通り過ぎてしまう。そのため、洗濯物はいつも部屋干しだ。
カーテンレールに紐でくくりつけた洗濯ピンチに洗ったものをぶら下げ、乾いたらそこから取って着る。どうせ誰にも見られない。
そういえば、ここに来て一体どのくらい経ったのだろう。まったく見当がつかない。なにしろ毎日が日曜日だ。もちろんカレンダーなんてない。
一日の境目もあいまいだ。眠くなったら寝るだけ。時計はないが、テレビ番組と窓の外の明るさの変化だけが時間の流れを感じさせる。
寝て、起きて、食べて、だらだらと過ごして、また寝る。
「いかがでしょうか、日曜日の国は」
ときどき、使者がやってくる。食料や消耗品を補充し、ゴミを回収していく。
「最高だよ」
使者がゴミを集めて回る後をうろうろと追いかけた。袋の中で、紙コップ、割りばし、プラスチックのスプーンなどがこすれ合う音がする。洗い物をしなくて済むように、使い捨ての食器がたくさん用意されているのだ。
「好きな時間に起きて、好きなことだけやればいいんだもんね。仕事にも行かなくていいし」
運んできたレトルト食材を、使者が食品庫へ補充する。その扉の横に立ったまま、
「そういえば、これまで観てなかったんだけど、日曜劇場って面白いんだね。リアルタイムじゃなくて、録画したやつを深夜に観るのが自分の中で流行っててさ。よくそのまま寝落ちしちゃうんだよね───」
僕の口から言葉がこぼれ続ける。使者とはいえ、久しぶりに誰かと会えて気持ちが高揚していた。
以前は、日曜日は誰とも会いたくなかった。誰かに誘われても断っていたし、買い物をしていてたまたま知人を見かければ逃げていた。一日中声も発さない。コンビニの店員から弁当を温めるかどうかを尋ねられた時に、小さく呟くだけだった。
そのはずなのに、仕事を終えた使者が「それでは」と帰るそぶりを見せた時は寂しく感じた。
「次回、なにかご入用なものなどございますでしょうか」
「あっ、そしたらさ、次はこのカップラーメンの塩ちゃんこ味が食べたいな。新発売のやつ。CMで見て、美味しそうって思ったんだ」
「かしこまりました」
使者は丁寧に一礼してから部屋を去って行った。ドアがバタンと閉まると、急に玄関が暗くなった気がした。急いで部屋に戻ってテレビをつける。
『怒りの現場! 行き詰るゴミ処理問題!』
ワイドショーが流れ、テロップが映し出された。深刻さとはかけ離れた話題。日曜日は平和でいい。日曜日に事件はいらない。
僕は開けっ放しのポテトチップスの袋から、湿気た一枚を取って口に運んだ。