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【小説】もうひとりの転校生 第16話

   第16話

 名古屋駅へ着いたのは八時過ぎだった。切符を買い、落ち着かない気持ちで改札をくぐる。

 新幹線のホームは空いていた。発車時刻までまだ余裕があることを確認し、スマホの画面をタップする。

『もしもし』
 呼び出し音の後、スマホから聞こえてきた同期の声は明るかった。すぐ隣で長女の笑い声がする。

 遠く隔たった距離を飛び越え、我が家と空間がつながったような気がした。温度さえ伝わりそうだ。

「俺だけど」
 おもちゃが鳴る音に続き、がさがさと衣擦れの音がした。

『ほーら、静かに。電話してるんだから』
 心なしか、同期の声は優しかった。芝居をしているようには聞こえない。

 この電話の向こうにいるのは同期ではなく、本物の自分ではないか。そんな錯覚に陥りそうになる。

『ごめんごめん、どうだった、そっち』
 ドアが閉まる音が響き、長女のはしゃぐ声が消えた。

 ──なぜこんなにも、俺は家族と離れているんだろう。

 さっきはつながったと感じたのに、今は逆に大きな隔たりを感じた。家族はみんな、同期を俺だと思っていて、幸せそうに過ごしている。そのことが、今さらながら胸に迫る。

「今から帰る」
 色々あった今日のことを、電話で説明する気にはなれなかった。

『え、帰るって、どういうこと』
 同期が尋ねた。驚くのはもっともだ。けれども、どこか拒絶のような響きを感じたのは気のせいだろうか。

「ホテルはチェックアウトした。今夜、東京へ戻る。これから新幹線に乗るところだ」
 返事はなにも聞こえない。

「仕事は最後まできちんとやった。仲間内の打ち上げはすっぽかしてもいいだろ」
 重ねて言うと、

「……ああ、もちろんだ。ご苦労さん」
 感情を抑えた声が返ってきた。いつもの同期だ。

 寒々としたホームに音楽が鳴り響き、まもなく新幹線が到着することをアナウンスが告げる。

「元に戻るためには、同じ場所で同じ衝撃を与えればいいんだよな」
 反対側の手にスマホを持ち替えながら尋ねた。

『俺が知ってるわけないだろ。ただ、映画ではそうだった』
 同期が冷静に応える。

「そうだな。やってみるしかない」
 たとえどんな方法でも試してみるつもりだった。早く元に戻りたい。頭にあるのはそれだけだ。

「じゃあ、二時間後に会社で会おう」
 そう言って電話を切ろうとすると、

『ちょっと待てよ。こんな時間からなんて言って外出すればいい。怪しまれるだろ』
 切りかけたスマホから同期の声がした。再び構え直す。

「言い訳なんてなんだっていいし、黙って出てきても構わない。妻へのフォローは、俺が元に戻ってからする」
 少し気が立っていた。

「お前の心配することじゃない」
 冷たい言い方の自分にますます苛立つ。

『……わかった』
 電話を切り、ボストンバッグを手に、やってきた新幹線に乗り込んだ。座席に腰を下ろし、ほっと息をつく。このまま座っていれば、一時間四十分後には東京へ着く。

 車内は空いていた。ホームとは反対側の外に目をやると、同期がじっとこちらを見ていた。思わず飛び上がる。自分だった。

 ぞくっとして、背中に汗が噴き出た。慌てて目を逸らす。

 心臓がどきどき音を立てていた。不安がこみ上げる。指先が震えるのを感じた。


 ──いいじゃないか、戻れなくても。


 さっき、瀬能はるかを目の前にして頭の中で響いた声を思い出す。

 姿が入れ替わっても、心は自分のままのつもりだった。けれども……。

 不安をかき消すように、ブラインドを下げた。腕組みをして目を瞑るが、眠れそうもなかった。

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