【短編小説】望月のころ 第6話
第6話
浮遊する言葉の尾を追いかけていた。聞こえない音に耳を澄ませるように意識を凝らすと、かけっぱなしで忘れていたBGMが、まるで小さな羽虫のように僕の耳の周りでぶんぶん飛び回り始めた。慌ててリモコンをつかみ、スピーカーをオフにする。
姿を捉えかけていたはずの言葉は再び遠くまで飛び去ってしまった。僕はもう一度、さっき辿った道順を思い出しながら、同じようにアプローチする。
片方の手で顔を半分覆った。集中したい時はいつもこうする。目を瞑ってしまうと、眼裏に小さな白い粒がちかちかと点滅して、かえって邪魔になってしまう。
半分だけ遮断された動かない景色が、僕と共にじっと息をひそめる。やっと現れた言葉を捕まえて籠に入れると、逃げまわっていたことなど忘れたように、彼は僕の頭にあるイメージを忠実に表現してくれた。
ふと手を止めた。なにかが空気を震わせている。一定のリズムでその正体がわかった。ソファの上でスマホが震えている。
手に取り、画面を見て驚いた。さくらからの着信だった。高校の時に交換して以来、彼女から個人的に連絡をもらったことはほとんどない。
「はい、もしもし」
なにかとんでもないことが起こったのか。そんな気持ちが声に出たのだろう。
「……あの、急にごめんなさい。仕事中よね」
さくらが消え入りそうな声で言った。
「いや、大丈夫。どうかしたの?」
「あの、武、そっちにお邪魔してたりする?」
「武?」
おうむ返しに呟く。二人だけで会ったのは春に呑んだのが最後で、あれから何箇月かが経っている。夏前に操を含めたいつものメンバーでバーベキューをしたが、その後は僕の方が仕事で忙しく、連絡すら取っていなかった。
「いや……来てないよ」
スマホを反対の手に持ち替え、意味もなく部屋を見回した。もちろん、そこに武の姿があるはずもない。
「そうよね、ありがとう」
落胆するというよりも、確認を終えた倉庫の管理者のようなさっぱりした声でさくらが言った。
「武がどうかしたの」
「ううん、いいの。なんでもないの」
やんわりと、だが確かな拒絶を感じた。これ以上触れてはいけないのかもしれない。けれども、このまま電話を切ることはどうしてもできない。
「武、どうしたの」
重ねて尋ねた。電話の向こうが静かになる。やがてぽつりとさくらが呟いた。
「……昨日から、帰ってこないの」
昨夜は遅くなっても会社から戻らず、今日になっても連絡が取れないという。
「既読もつかないし、電話をかけても、『電源が入っていません』ってなっちゃうの。念のため、武の実家にかけたんだけど、あっちにも行ってなくて」
すっと血の気が引いた。まさか、事故や事件に巻き込まれたのではないだろうか。
「会社には……?」
「うん、それでさっき会社に電話してみたの。そしたら昨日」
さくらが言葉を切る。悪い予感しかしなかった。
「上司と口論になって、殴り合いまではいかなかったらしいけど、そのまま辞めるって帰っちゃったんだって」
思わず鼻から息が漏れる。
『マジで辞めたい』
春に会った時も、そういえばバーベキューでも言っていた。
『次の試合が終わったら、ぜってぇ辞めてやる!』
野球部に入ったばかりの頃、同級生たちとの帰り道にいつもそう言うのは武だった。それでも三年の夏までやり遂げた。武は決して無責任なやつではない。
よほどのことがあったのだろう。もっとちゃんと話を聞いてやればよかった。
「武は僕が探すよ」
さくらには操がいる。彼女を置いて探し回ることはできない。
「駅前のネットカフェや、ビジネスホテルを見てくる。きっとすぐ見つかるさ」
さくらを励ますつもりで、口にしてからふと気づいた。
「武、現金やカードはどのくらい持ってたの?」
ひょっとしたら、ぶらっと旅に出てしまった可能性もある。
「お金はあんまり持っていないと思う。カードはわたしが管理してるし」
なるほど、それなら遠くには行っていないはずだ。
「どこか、武が行きそうな場所に、心当たりはある?」
行きつけのパチンコ屋、カラオケ、または友達の家とか。なにげなく言ったつもりだった。
電話の向こうで、さくらが沈黙する。あんまり長いので、電波の具合が悪くて途切れてしまったのかと画面に目をやると、
「……たぶん」
呟きが聞こえた。
「そうじゃないかなって思ってる」
え、どこだって? 訊き返す一瞬前に、僕の頭に電気のようなものが走った。
「まさか」
そんなはずは。でも、もしそうだとしたら。
考えたくないのに、最悪の事態が浮かぶ。
「……連絡したの?」
「うん、でも最初だけ既読がついて、そのままなにも返信がないの」
さくらの声に、僕は目を瞑った。