【短編小説】望月のころ 第1話
第1話
ねがわくば 花のもとにて 春死なん その如月の 望月のころ
※※※
「せーの」を合図に、手にしたグラスを差し出した。
「メリークリスマス!」
四つのグラスと小さなカップが合わさる。勢いよく振り上げた武のグラスから液体が飛び散り、環が悲鳴をあげた。さくらが慌ててキッチンに布巾を取りにいく。
「ちょっと武! なにすんのよ! 見てよ、このワンピ!」
環が金切り声を上げながら武の背を平手で叩いた。大人のはしゃぐ様子に、オレンジジュースを飲んでいた操が笑いながらむせる。
「操ちゃん、メリークリスマス、そして五歳の誕生日おめでとう」
僕は背中に隠してあった二つの包みを差し出した。ひとつはおもちゃの入っている箱、もう一つは平べったい袋だ。
「あっ、あたしも! 操ちゃん、誕生日おめでとう!」
服の染みにハンカチを充てていた環が、慌てたように自分の包みを取り出す。
僕と環からのプレゼントを両手に抱えた操が、目をほころばせて隣のさくらに顔を向けた。
「如月くん、環、いつもありがとうね」
操の頭を撫でながら、さくらが母親らしく僕と環に頭を下げる。父親の方はと見ると、武は空っぽになった自分のグラスに手酌でシャンパンを注いでいた。
「ほら操。なんて言うの?」
「……ありがとう」
操が小さな口をすぼめて言った。はにかむ様子が可愛らしい。小さな指で器用にテープを外し、平べったい袋を開ける。
「わあ、新しい本だ!」
操は目を細めて表紙の絵を眺めると、さっそくページを開いた。
クリスマスプレゼントがおもちゃで、誕生日プレゼントは本。高校からの親友である武とさくらが結婚し、生まれた娘の誕生日がクリスマスだった時から、この二種類のプレゼントを用意することが僕の中では定番になっている。
「操、おまえホント変わってるよな。子供は普通、本よりおもちゃだろ」
武のからかいの声は、操の耳には入らない様子だった。彼女の魂はもうこの場にない。どこか遠くの世界を飛び回っている。
「いいじゃないの、操は本が好きなのよ」
娘の気を引こうと、なおもしつこく声をかける武を諫めるようにさくらが言った。
「ねえ、操ちゃーん。お姉ちゃんのプレゼントも開けてよう」
環が包みを振った。操の耳元でガサガサと音を立てる。
「ごめんね、環。この子、こうなっちゃったらなにも聞こえないの」
さくらが顔の前で両手を合わせた。
「さすが。さくらの血を引いてるわ」
オーバーに目を瞠る環に、
「環、おまえも操を見習って本くらい読めよ」
武がふざけて言った。
「はぁ? あんただって本読まないでしょ!」
「いや、俺はちゃんと読むよ。お前と一緒にすんな」
「ちょっとさくら! こいつ絶対ウソだよね!」
いつものように武と環が騒ぎ始める。
武、さくら、環、そして僕の四人は同じ高校の出身だ。武と僕は野球部に所属していた。初めは水と油のように交わらなかったが、二年になってレギュラーを掴み、バッテリーを組んだ。気づいたら無二の親友になっていた。
武とは中学生の時からのつき合いだというさくらと、彼女のクラスメイトだった環も含めた四人でいつもつるんで遊んでいた。高校を卒業し、十年経った今でも、その関係は変わらない。
「操ちゃんって、ホントにあんたの子? 信じらんないんだけど」
自分で言っておいて、環が笑い出す。
「実はな、ここだけの話、操の本当の父親は、透なんだよ」
武が真面目な顔で冗談を言い、こちらの反応を窺うようににやりと笑った。僕が無視してグラスを傾けていると、
「えー! ホントにそうだったらヤバっ」
環が大袈裟に反応する。さくらが眉をひそめた。
「ほら、否定しないじゃん。おい操、おまえ呑気に本なんて読んでる場合じゃないぞ」
「ちょっと! やめてよ!」
さくらが鋭く言った。「子供の前でくだらないこと言うのやめて!」
武と環が小さくなる。不穏な空気を察したのか、操が本から顔を上げた。
「ごめんごめん、冗談だってば」
環が顔の前に片手を立て、目を瞑った。さくらが引き結んでいた唇をすこし緩ませる。
「あっ、プリキュアだ!」
操が声をあげた。読み終えた本を横に、プレゼントの包装を剥がしている。
「おねえちゃん、ありがとう!」
「どういたしまして~。あーん、操ちゃん可愛い」
環にぎゅうぎゅうに抱きしめられ、操が苦しそうにもがいている。
「おねえちゃんじゃなくて、行き遅れのおばさんな」
武がまた混ぜっ返した。環が操から手を離す。
「もう、こいつヤッちゃっていいよね?」
羽交い絞めにされた武がストップストップと苦しそうに喘いだ。
「まだ二十八だよ? 今どき、この歳で結婚してない方が普通なの。あんたたちが早すぎ!」
わかったわかった。解放された武は喉を抑えながら咳ばらいをして、
「しょーがねえじゃん、操がデキちまったんだから」
と言った。突然自分の名を呼ばれた操が驚いたように顔を上げる。さくらが武に向かって怖い顔で首を振った。
「あーあ、あたしもそろそろ結婚したくなっちゃった」
環の呟きに、
「じゃあさ、お前ら二人がくっつけばいいじゃん」
武が環と僕を指した。環が「えー!」と口を尖らせる。
「ぜぇったいムリ! 透は本ばかり読んでてつまんないもん」
「おまえ、ひでぇ言い方」
「友達としてはいいの! 頭がいい友達がいるとすごく便利だし」
それ、フォローのつもりか。武の言葉を無視し、
「でも彼氏だったらタイクツそう」
環が余計なひと言をつけ加えた。
「そんなことないよ」
それまで黙っていたさくらが、たまりかねたように口を開く。
「如月くんは素敵だよ。ねぇ、操」
「うん、操、とおるくんとケッコンする」
二人から真っ直ぐな目を向けられ、大人げなく、本気で言葉に詰まってしまう。
「おい、操。俺は?」
「パパとはケッコンしない」
「このやろ!」
武が娘に腕を回した。操が嬌声をあげ、環が笑い出す。その横で顔をほころばせたさくらも含めて、僕はまるで記念写真のようにこの瞬間を切り取って胸に収めた。