【小説】日曜日よりの使者 第9話
第9話
よく見ると、僕がこの世界にやってきた時に履いていたサンダルは、沓脱の隅にちょこんと揃えられていた。
埃をかぶっている。日曜日の国に来てから、一体どのくらいの時間が経ったのか。思いを巡らせてみる。
ほんの一箇月ほどのような気もするが、よくよく考えるとそんな短いとも思えない。ここにはカレンダーがなく、テレビはいつも日曜日の番組が流れているので、時間の感覚を持ち続けることは困難だった。
サンダルは埃をかぶりながらもずっとそこにあったのに、僕の目にはまったく入っていなかった。そのことに改めて驚く。
サンダルを手に取った。履き古したものであるにもかかわらず、よそよそしく見えた。けれども埃を払ってふたたび沓脱に揃えると、さっきよりもほんのわずかに光沢を取り戻したように思えてくる。まるでなにかの期待を込めてこちらを見上げているようだ。
足を入れると、久しぶりのせいか違和感があった。その場で何度か床を踏みしめてからドアノブを回す。鍵はない。
外は珍しく曇っていた。日曜日の国はごくたまに雨が降ることはあるが、たいていは晴れている。グレーに垂れ下がった雲はまるで僕の心を映しているようで、開いたままのドアに手をかけたまま、沓脱と玄関ポーチの境界線を跨いだ。
これまで、窓の外に見えていたものと同じはずなのに、ガラスにもカーテンにも遮られない景色は僕を圧倒した。ドアノブから手を離すことができないまま、おそるおそる周囲を見回す。
見渡す限り、建物の姿はなかった。電柱ひとつ見当たらない。まるで、テレビの旅番組で見たことのあるような田舎の町にぽつんとある停留所のように、僕の住む家だけがたよりなく建っている。
僕は右の方角に顔を向けた。使者の運転するバスで初めてこの国へやってきた時、辿ってきたのはこちらからだった。そして、僕の記憶に間違いがなければ、その時にいくつかの家を目にした。今僕が住んでいるような、小さな平屋の家だ。
家と家の距離はかなり離れていて、通り過ぎてからしばらくするとまた思い出したように次の家が遠くに見えてくるというような具合だった。合わせて何件くらいあっただろうか。古い記憶を呼び覚まそうと目を閉じる。その時、遠くでなにか小さな音がした。
目を開けた。どこから聞こえたのか、周囲を見回す。けれども、どこにも動くものの姿はない。
耳を澄ませても何も聞こえない。僕はじっと息をひそめた。視線を落とし、意識を聴覚に集中する。ややあって、カタカタっという音が今度ははっきりと聞こえた。
振り返る。音は家の中で鳴っていた。ドアを押し広げて中を覗くと、廊下の真ん中に僕のスマホが落ちているのが見えた。
僕はサンダルを履いたまま膝歩きで廊下を進み、手を伸ばした。スマホの画面は暗く、横のボタンを押しても反応はない。
──なぜここにこれが落ちているのだろう。
『これを使えるようにしてほしい』
あの時、使者にそう頼んで突っぱねられた時から、そこに置き去りになっていたのかもしれない。
僕はそれを右のポケットに入れた。そして玄関へ戻ると、改めて外へ出た。思い切ってドアを閉める。バタンという力強い音が空気の塊になって僕の背を押した。
身体ごと右を向く。大きく息を吸って吐き出すと、僕は一歩を踏み出した。