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【短編小説】捨て猫リカ 第10話(最終回)
第10話
「あっ、理加ちゃん来た!」
通りを歩いてくる姿を見つけ、リビングの掃き出しから外を覗いていた菜摘が玄関へ飛んで行った。
理加は学校が終わるとバスに乗り、毎日のようにうちに遊びに来るようになった。
警察から理加を家に連れてきたあの日、事情を知らされた菜摘は、夫と共に固い表情でわたしたちを出迎えた。玄関に入る一歩手前で、理加は深く身体を二つに折った。
「菜摘ちゃん、本当にごめんなさい」
嗚咽を必死でこらえているのか、わずかに震えている。もういいから入ろう、とわたしがそっと背を押しても、理加は顔を上げず動こうとしない。
「……理加ちゃん」
その呟きに、理加だけでなくわたしと夫も菜摘を凝視した。
口を引き結んだままじっと理加を見つめる菜摘の目線を追い、菜摘をじっと見返す理加の目線を追う。短い沈黙の間、わたしと夫は代わる代わる二人に目を走らせた。
「いいよ。許す」
菜摘が言った。大人のようにごまかしの微笑みはせず、真っ直ぐに内心の葛藤を見せている。
「でも、もうやめてね。嘘をつくのは騙すことだからね」
理加がわずかに目を丸くする。『もう騙さないで』という、わたしが理加にかけた言葉。菜摘の口から同じ言葉が出たことに、偶然を超えた必然のつながりを感じた。
「菜摘ちゃん、ママにそっくりだね」
夫が目を瞠ったのが見て取れた。えらの張った骨格と運動神経の良さを夫から引き継いだ菜摘を、親戚や友達は口をそろえて父親似と言うからだ。
夫は気を悪くする風ではなく、むしろ面白そうに理加を見ている。食事と着替えを済ませた理加を家まで送り、遅い時間に戻ってきたわたしをダイニングで迎えた夫は、
「思ったより悪い子じゃなさそうじゃん」
と言って、呑み終えたチューハイの空き缶をつぶした。起きて待っていてくれたお礼に、一日二本までの約束を破ったことは多めに見ることにした───。
「待って、今日は菜摘にやらせて」
という声に目をやると、理加が鏡の前に座らされ、その髪を菜摘が梳いている。
「ちょっと待ってね。ヘアゴム持ってくる」
菜摘が自分の部屋へ消えた隙に、紅茶を淹れたカップを理加の前に置きながら、
「もう万引きはしてないよね?」
小さな声でこっそりと尋ねる。
「してないよ」
果たして本当のことを言っているのか、それとも嘘か。あっけらかんとした態度は、どちらであってもおかしくない。
「本当ね?」
重ねて尋ねるが、理加は気を悪くした様子もなく、
「ホントだよ。もう貴子さんだけには嘘をつかないって決めたもん」
と言って、顔いっぱいで笑った。
「わたしにだけじゃなくて、誰に対しても嘘はついちゃダメ」
しっかり念を押す。理加は目を瞠ると、
「貴子さんって、ホントに真面目だね」
と、感心したように言った。
「わたしが万引きしてきたものをお母さんが全部捨てちゃうのを、これまで『お母さんって真面目!』って思ってたのに」
返す言葉も出ない。理加に色んなことをわかってもらうには、まだまだ根気と時間が必要なようだ。
「あれから、お母さんと話せた?」
ふと気になって尋ねた。万引きで警察に捕まったのだから、親子で話をするべきなのは言うまでもないことだが、理加は首を横に振る。
「相変わらず仕事で忙しそう。帰りは遅いし、朝も早い時は一日顔も合わせないこともあるし」
「そう……」
「お父さんなんて、いつも一週間くらい帰ってこないよ」
離婚しないのは、あたしが成人するのを待ってるんだよ。どっちも引き取りたくないからさ。
あの日、家まで送っていく車の中で、理加がぽつりと打ち明けた。
「お待たせ~」
菜摘が両手いっぱいにヘアゴムを抱えて戻ってきた。美容院ごっこを始めた二人を見ながら、台所で夕飯を作り始める。
「お腹すいた。ママ、今日のご飯なに?」
「今日はね、なんちゃってタコライス」
本格的なスパイスなど使わず、ソースやカレー粉や、その他の調味料で適当に味をつけたものだ。しかし菜摘と理加は、
「やったあ! うちらの大好物!」
とハイタッチした。つられて笑みがこぼれる。
乗りかかった船。そのことに、ひとつも後悔する気持ちはない。
おわり