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【短編小説】ニシヘヒガシヘ~夜行バスに乗って~ 第1話

   第1話

21:00 帳面ノート駅バス停 出発

「本日はご乗車いただき、まことにありがとうございます。こちらの夜行バス『風林火山号』は帳面ノート駅発、バスタ新宿行きでございます」

 帳面駅前ロータリーの一角にある路線バスの発着場は、帰路につく人たちが列を作っている。

 それとは反対側の端に停車する鮮やかなデザインのバスに近づき、入り口の前で足を止めた。バス停に立つ制服姿の女性にチケットを見せる。

「ありがとうございます。3月9日、21時発、バスタ新宿行き。風林火山号ですね。まもなく出発です」

 女性が笑顔で目礼し、半身を引いて道をあけた。あたしも目礼を返すと、どきどきしながらバスの最初のステップに足をかけた。半分だけ隠れた運転手の横顔を見ながら、手すりを握った手に力を込めて、段差をよじのぼる。

「こちら、21時に帳面駅バス停を出発し、途中三箇所のサービスエリアで20分ずつの休憩を行います」

 三段のステップを上りフラットな床に立ったら、ぱっと視界が開けた。
 広い車内は三列のシートで分けられていた。長距離バスと言えば、四十年前の遠足のイメージくらいしかなかったあたしはびっくりして、思わずため息がもれる。

 真ん中のシートはそれぞれの窓際の席との間に通路があり、すべてのシートが独立している。席を立つたびに謝りながら誰かの足を跨ぐ必要もない。

「終点のバスタ新宿には明朝6時の到着予定です」

 座席番号を検めた。窓口が閉まる直前に購入できたチケットは、本来は満席だったところたまたまキャンセルがあったそうで、座席番号はボールペンの手書きだ。

「ここかな」
 手提げにもなる小ぶりのリュックサックを背中から下ろし、3Bと書かれたシートに腰かけた。窓際ではなく真ん中の列だけど、思ったよりもゆったりしていて、クッションの座り心地も良い。

「わたくしは『風林火山号』の運転手、乗合春でございます。みなさまと快適な旅ができるよう、精いっぱい勤めてまいります」

 運転手が口上を終え、マイクを切るぷつんという音が鼓膜に響いた。前のシートに隠れた運転席へちらりと目をやる。

 そういえば半分しか見えなかった横顔は、いくつくらいなのかもわからない。乗り込んだとたんにバスの内部にばかり気を取られてしまい、会釈すら忘れていた。

 けれども、声から受ける印象ではかなり若そうだ。それに、なんだか緊張しているようにも感じられる。ひょっとしたら新人さんなのかもしれない。

 改めて、自分のシートに目を戻した。靴で汚さないように浅く腰かけると、背もたれがうんと遠い。靴を脱ぎ、お尻歩きで後ろ向きに進みクッションのくぼみに到達すると、あたしの短い脚はほとんどシートの中に納まった。

 あらま、ほとんどベッドじゃないの。これは快適だわ。

 リクライニングのボタンを見つけた。周囲に目をやると、前後のシートも広めに間隔が空いており、かなり倒しても大丈夫そうだ。
 背もたれの横から顔を出し、真後ろの席の人に声をかけた。

「すみません、倒しても大丈夫ですか」

 座っていたのは、グレーのパーカーに身を包んだ青年だった。
 フードを目深にかぶり、おまけにマスクで顔を覆っているので顔は良く見えない。それでも青年だと思ったのは、マスクから覗く頬骨の感じと、ひょろりと長い体つきのせいだ。

「あのぅ」
 声をかけているのに、こっちを見ようともしない。けれども、貧乏ゆすりのように両手の指を動かしている。寝ているわけではなさそうだ。

「すみません、倒してもいいですか!?」
 さっきよりも声のトーンを上げたら、かすかに頷いた。え? いいのよね。ちゃんと確認したからね。

 迷いながらも、思い切って倒した。だってここで遠慮しちゃって、後からもっと倒したくなったら、またあの人に確認しないといけなくなるじゃない。
 文句言われなきゃいいけど。変な人の前に座っちゃったな。満席だっていうし、仕方がないけど。

 ポーン。リュックの中でスマホがメッセージの受信を告げる。慌ててチャックを開けて取り出し、音を消した。

「まもなく出発のお時間です。どなたさまもお座りになってお待ち下さい」

 アナウンスが告げる。時計を確認すると、出発一分前。エンジンがかかった。バスがちいさく呻り、かすかに振動し始める。あたしはどきどきしながら、通路と誰かの後頭部越しの窓の外に目をやった。本当にここを離れて、遠くに行くんだ。

 あれ、あの席空いてる。右斜め前の窓際の席。あたしは首を伸ばし、バスの中を見回した。他の席は全部埋まってる。

 ひょっとして急なキャンセルかもしれない。もし誰も来ないまま発車しちゃったら、あっちに移るのもアリかも。そんなことを思っていたら、

「いやぁ、間に合った!」
 一人のおじさんが乗り込んできた。ふうふう息を切らしているのは、走ってきたからだろう。

 背はあまり高くない。歩くたびにお腹が揺れる。髪の毛が両耳の横にちょっとずつしかなくて、てっぺんはツルツル。それなのに眉は濃く、ぎょろっとした大きな目と、ビーバーみたいに飛び出た前歯に愛嬌がある。きっと子どものころは可愛い少年だったんだろうね。

「すみません、遅くなりました」
 おじさんはにこにこしながら運転手さんに声をかけ、そのままあたしたち乗客にもぺこりと頭を下げた。一つだけ空いていた、右斜め前の窓際の席に座る。

「定刻になりました。発車します」

 運転手の声に、エンジン音がアイドリングとは違う音に切り替わる。慣性の法則に従ってシートにぐっと押しつけられたあたしたちは、暗い夜の道を新宿に向けて進み始めた。

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