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【小説】日曜日よりの使者 最終話

   最終話

「35番の番号札をお持ちのお客さま、2番のカウンターへお越しください」


 ざわめく店内に自動アナウンスの声が響いている。

 カウンターに貼られた宣伝シール『期間限定ポイント2倍!』の鮮やかなフォントをぼんやりと目でなぞっていると、


「お待たせいたしました」
 すらりとした店員が戻ってきて、長い足をカウンターの中に納めた。端正な顔に愛嬌のある笑みで、


「修理期間中の代替機ですが、こちらの機種の中からお選びいただいてよろしいでしょうか」
 二台のスマホを乗せたトレーを差し出した。その奥、カウンターの端で僕のスマホは静かに横たわっている。



 今朝、起きたらスマホが壊れていた。

 目が覚めた瞬間、ここがどこなのか、今がいつなのか、ひとつも思い出せなかった。それどころか、見慣れたはずの僕の部屋がまるで知らない場所のようで、とんでもなく心細い気持ちで、必死に眠る前の記憶をたぐり寄せた。

 今日は日曜日。最初に思い出せたのはそれだ。ここまで前後不覚になるほど、ずいぶんとよく眠ったものだ。

 枕元のスマホに手を伸ばす。けれども、電源は入らずにスマホの画面は暗いままだった───。



「申し訳ありません、お客さまのものとまったく同じ機種はないんですよね……」
 僕の視線の先を辿ったのか、店員がそう言って眉を下げる。

「直りますかね」
 不安な気持ちで、最初に尋ねたのと同じことを口にする。

「そうですねぇ……こちら、電源が入らないとなるとちょっと難しいかもしれませんが、もし修理が不可能となりましたら、その場合はご連絡させていただきますので」
 店員もまた、その時に答えた内容と同じことをゆっくり繰り返す。


 店を出て時計を見る。まだ昼過ぎだ。あんなによく眠ったのに、目が覚めたのはずいぶん早い時間で、そのことにも驚いた。普段の日曜日なら、午前中に目が覚めることはない。

 駅前のファストフードの列に吸い寄せられるように並んだ。注文と支払いを済ませ、番号札を手にレジ横の空間に移動した。同じようにテイクアウトの商品を待つ人だまりが、スマホから目を離さないまま少しずつ動いて僕のためのスペースを作る。

 一人だけスマホではなくカウンターをじっと眺めている人がいた。向こうがこちらに顔を向けるのと、彼女だと僕が気づくのは同時だった。



「あ……」



 言葉が出ず、漏れた呟きをごまかすように頭を下げた。向こうも顔を引き締めて会釈を返す。

「久しぶり」
 やっとそれだけ言った。彼女はかすかに口元を緩ませる。

「久しぶり」
 彼女のおうむ返しに、僕はただ黙って小さく頷いた。言葉が続かない。

「元気だった?」
 彼女の方から水を向けてくれた。少し恥ずかしい気持ちで、

「元気。そっちは?」
 と返す。

「元気だよ」
「そうか、よかった」
 また沈黙。なにか言おうと焦るほど、言葉は出てこない。


 何故だか、ふと笑点の座布団運びの人の顔が浮かんだ。あのまん丸い顔で、僕を励ますように親しげに微笑みかけている。


「笑点のメンバー、昔よりずいぶん入れ替わっちゃって寂しいよね」
 唐突な話題に、彼女が目を丸くする。


「あっ、ごめん。ほら。今日は日曜日だからさ」
 僕の言葉に、彼女が口元をひねるようにして、歪んだ笑みを浮かべた。呆れているように見える。


「あ、あのさ」


 言いかけたところで、彼女の番号札が呼ばれた。さっき僕に向けたのとは違う表情で店員から袋を受け取る彼女を、間抜けのように眺める。


「それじゃ」

 彼女は首をすくめるような仕草で短く言うと、店を出ていった。振り返ることもしない。


 周囲の人たちが、目はスマホを追いながら僕のことを笑っている。そんな気がした。

 今の僕は、世界で一番情けない男だった。耳が熱くなる。胸が痛かった。

 食欲は消え失せている。なぜこの場に立ち尽くしているのだろう。誰にもばれないように、そっとここから逃げ出したい。

 無意識にポケットに手を入れる。スマホの代わりにそこにあったのは、石のかけらだった。

 どうしてこんなところに、こんなものが入っているんだろう。覚えがない。けれども、石はじんわりと優しい熱を発している。丸ではなく、なにかの欠片のようだった。触れているうちに、じわりと胸が熱くなる。


 眼裏で、流れ星が尾を引いて消えた。

 僕は店を飛び出した。彼女が立ち去った方向へ駆け出す。人混みの向こう。似たような背格好の人を追い越した。振り返って顔を見ると、全然違う女性が驚いて飛び上がった。

 また走った。駅に向かう人の群れ。その先に、真っ直ぐな背中が遠ざかっていく。


「待って!」
 声を振り絞った。周囲の人たちが僕を振り返る。


「待って!」
 二度目の叫び声に気づいた彼女がこちらに振り向いた。目を瞠って僕を見る。


「考えてたんだ。どうしてきみに嫌われちゃったのか」
 息が弾んでうまく言葉が出ない。つばを飲み込み、必死で口を開いた。


「自分のなにが悪かったのか、考えた。でもわからなかった。僕はきみのことが本当に好きで、なにより大事にしていたつもりだった」


 駅に向かって歩いていたカップルが、面白そうに僕を眺めてから彼女の顔を覗く。けれども彼女は彼らが目に入らないかのように、黙ったまま僕を見ている。


「でもわかった。僕は自分のことばかり考えてた」


 覚えている。彼女から届いた最後のメッセージ。


『別に怒ってないよ。ただ呆れてるだけ』



 そして僕は、そのメッセージに既読をつけなかった。




「ごめん」



 怖かった。これ以上彼女に嫌われることが。



 未読のまま無視される彼女の気持ちなど、考えてもいなかった。




「……ごめん」


 もう一度繰り返す。他の言葉はなにも浮かばなかった。

 あの時逃げたことですべてが終わったのだ。終わらせたのは僕だった。




「……悪くないと思うよ」


 どれくらい経ったのか、とても長く感じられた。じろじろ見ていたはずのカップルは消えている。彼女の言葉に、僕は顔を上げた。



「……新しい笑点メンバー、みんな頑張ってるよ」




 一瞬、なんのことかわからずに混乱する僕に、


「昇太さんは、司会に抜擢された時はすごくプレッシャーを感じてたみたいだけど、最近はすっかり貫禄あるもの」



 頬を膨らませる話し方はいつもの癖だ。いつだってどんなことにも真剣に向き合う。すぐ怒り、でもすぐ笑う。



「宮治さんも、晴の輔さんも頑張ってるし、一之輔さんなんてめちゃめちゃセンスあると思う。わたしは好きだよ」




 そう言って、彼女が微笑んだ。



 僕にとって、この世のなにと引き換えにしても手に入れたいと思える笑顔だった。



                             おわり              

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