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【短編小説】徒労の人 ~なぜ書くのか~ 第5話
第5話
「それでヤツがさ、急に『ちょっと話がある』ってマジな顔したと思ったら、うちと『別れたい』って言うわけよ。なんかムカついて、『別れるのは構わないけど、理由くらい教えなよ』って言ってやったのね。そしたら、『なんとなく、前から思ってたんだけど、俺ら合わないような気がする……』とかぼそぼそ言い出したの。
『前っていつよ?』って聞いても『ちょっと前っていうか……』ってハッキリしないの。『それって、つまり最近なの? 今年、それとも去年?』ってガンガン追求してやったらさ……だってほら、聞きたいじゃん。なんなの、ずっとうちと別れたいと思いながら付き合ってたってわけ、って考えたらムカつくじゃん。いつからだよ、言えよって話じゃん。
でさ、うちさ、去年ヤツと旅行に行ったじゃん。それ思い出してさ、『え。まさか旅行の前から? それなら先に言えよ。じゃあなんだったのあの旅行!』って言いながらこっちもどんどんムカついてきて。あの旅行中とかも、うちと別れたいとか思ってたわけ、って考えたら、楽しかった思い出とか、お揃いで買ったお土産とか、写真とかに残ってるヤツの笑顔とか、全部嘘だったの、なんだったのってなるじゃん。そしたらヤツ、『違うよ、旅行はホントに楽しかった! あの時はまだ……』とか詰まってさ。
そこでさ、ピーンときたわけよ。ははーん、これは女だなって。コイツ、浮気してるからうちと別れたいとか言ってんじゃんって。でさ。問い詰めたら。はーいビンゴー。マジで、は? ってカンジでしょ? 自分で浮気しといてさ、『前から別れたいって思ってた』とか、こっちが悪いみたいにさ。クソ最低でしょ。絶対許してやらねーって思って、ヤツに『その女、今ここに呼び出せ』って言ったの。そしたら『それは勘弁して!』って青い顔するから『いいからスマホ貸せ!』ってこっちもキレてさぁ──」
「お待たせしました! 生ビールです」
ちょっとちょっと。今いいところなんだけど。
目の前に次から次へとジョッキが置かれていく。目にも鮮やかな琥珀色。表面張力で盛り上がる細かな泡。新鮮なうちに急いで渡さなくてはと焦ってしまう。とはいえ、手元に届いたそのビール、全員の呑み物が揃うまで口をつけられないのだけれど。
お酒はわりと好きだけど、家で一人では呑まない。一人の外食もしない。
たまには居酒屋に行きたくなって、月間目標達成祝いという名の、課の呑み会に参加することにした。思いがけない答えだったのか、誘った方が驚いていた。
呑み会では人間観察も面白い。酔った時はおのずと本性が出る。それを心の中で言語化して遊ぶ。たまには人のゴシップを聞くのも楽しい。小説のネタになる。今は隣のテーブルの女子会トークが面白過ぎて、耳が釘付けになっていた。
目の前のジョッキにも、お通しにも箸にも手を付けられないでいるところに、カシスオレンジとウーロン茶がやってきた。注文した主を目で探し、その方向へ渡していく。好んで一番端の席にしたのだが、これは忙しくなりそうだ。
「カシスオレンジはリナちゃんだよね」
とグラスを手渡されたリナは、なんと座敷の真ん中あたり、課長の目の前の席に座っている。
「そうですぅ。ありがとうございまーす」
「可愛いの頼むねぇ、お酒弱いんだね」
課長はデレデレだ。見ていられない。
「そうなんですよぉ。酔うとすぐに真っ赤になっちゃうんです」
「でも、それくらいなら酔わないでしょ」
「んーん、ダメなんですよぉ」
あなたのカシオレのおかげでこっちの泡が消えかけてるんですけど。あ、ウーロン茶くんもいましたね。それはそうと、早く乾杯しましょうよ。
というわたしの心境が伝わったわけではないのだろうが、課長の隣の席で主任が張り切って杯を持ち上げた。笑いを交えて課長をヨイショし、課の業績をたたえ、全員の頑張りに感謝を伝える。スピーチは程よい長さで、ジョッキを持った腕がだるくなる前に終わった。一番端の席のわたしは、左隣と正面と斜め向かいの人と控え目に杯を合わせてからジョッキに口をつけた。久しぶりのビールが美味しい。一口で半分飲み干した。
高井戸がいた頃から思っていたが、この課の雰囲気は悪くない。届かない位置にあった大皿の料理を取り分けてもらい、ビールとつまみで人心地ついたところで隣の席の女子トークを思い出したが、もうさっきの話は終わっているようだった。残念。
仕事のできないリナだが、こういう場では優秀さを発揮している。自分が会話の中心になるだけでなく、課長やその他の男性たちに質問を投げ、戻ってくる答えにやや大袈裟にリアクションをして、一同の舌を軽くする。
それはそうと、斜め奥に見えるテーブル席の客が気になる。男性二人に美人の女性一人。これってどういう取り合わせ? 女性はどちらかの男性の恋人? それとも、二人の男性はこの美人をひそかに狙っている?
座り位置を見ると、女性と男性二人は向かい合っている。ということは、男性は二人とも女性の恋人ではない。なぜなら、もしどちらかが彼女とつき合っているのなら、恋人同士の男女は高確率で隣の席に座るはずだから。うん、わたしってば名探偵コナンか金田一耕助ばりの推理力。
仮に二人の男性に他に恋人がいたとしても、この場にいるたった一人の女性が、自分ではない男性と目の前で親しくしているのをただ傍観するのは面白くないだろう。どちらのオスがこの場を制するのか。心の中はその戦いの真っ最中に違いない。
どちらかというと、彼女の正面に座った男性が会話をリードしているようだ。よく見ると髪型も服装もおしゃれ。整髪料と時間をかけてますって感じ。頑張れ、その隣のカッターシャツの男性よ。最初の場所取りで負けているようじゃ、見込みが薄いぞ。いや、おしゃれ髪型くんが席を立った。トイレか。これはチャンスだぞ、今のうちに彼女のハートに刺さるようなトークを展開するのだ。
「愛馬さん、呑んでますか?」
ふいに声をかけられて驚いた。さっきまで隣に座っていた同僚はトイレにでも行ったのか、空いた席に移動してきたのはうちの課で一番のイケメンくんだった。しかも彼は、顔がいいだけでなく仕事もできる。
「呑んでますよ」
イケメンくんはわたしよりも二期後輩だから年下だ。
「それ、なんのお酒ですか」
ちょうどやってきたのは水割りのグラスだった。ビールをおかわりした後、三杯目に頼んだものだ。
「えーと、なんか適当に焼酎」
誰かが注文する時に、同じものを頼んだ。メニューを回してもらうのも億劫だった。
「強いんですね」
イケメンくんこと、錦戸くんが目元をほころばせた。人間、顔じゃないって言うけれど、やっぱりイケメンには威力がある。やめてやめて。罪作りなその笑顔。
「いえいえ、ほんのたしなむ程度です」
ちょっぴりおどけてそう言うと、彼は天井を向いて「あはは」と笑った。喉仏が上下する。なんて爽やかな声。
ううん、やっぱりやめないで。どうせ今日だけ。一時の美酒に酔おうではないか。
「今日は愛馬さんが来てくれてうれしいです。以前から一緒に呑みたいと思っていたんですよ」
イケメン錦戸が微笑んだ。もう、どこまでわたしを気分よくするの。
『あんた、誰かいい人いないの?』
母の言葉が耳の奥によみがえる。ちょっとやめてよ。そんなんじゃないから。ポツンと一人で呑んでいるわたしのこと、気にかけてくれただけだから。
イケメンは心もイケメン。あなた、どんだけ揃ってるんですか。どこかのメジャーリーグのスター選手ですか。憧れるのを辞められないでしょ、あなたに。
「うーん、普段はあまり参加しないからね。家でやりたいことあるから」
余計なことを言ってしまった。まるで、聞いてもらいたがっているみたいじゃない。
「やりたいことってなんですか?」
「えーとね、えっと……小説書いてるの」
恥ずかしくなって、照れ隠しにグラスを傾けた。なんで言っちゃったかな、わたし。相手は返事に困るに決まってる。
けれどもイケメン錦戸は目を瞠り、
「え、すごいですね! 愛馬さん、小説書かれるんですか」
周囲に聞こえないように、控え目に声を弾ませる。
「いやいや、すごくないよ」
「プロを目指してるってことですか」
「まあ、一応ね」
「すごいな」
「いや、だからすごくないって。そんな人、星の数ほどいるんだから」
イケメン錦戸のおかげで、こちらの舌も軽くなる。
「そういえば、俺の大学の頃の友人にもいました。小説書いてて、なにかの賞を獲ってどこかの雑誌に載ったのを読みましたよ。俺にはとうていできないから、すごいなって、素直に感動しました」
そう言って、こちらに尊敬のまなざしを向ける。これ以上の模範解答があるかしら。
「その友人はその後、どうしたの」
「確か、普通に就職してましたね」
そうよね。世の中そんなに簡単じゃない。
「今どきは、作家デビューできてもそれだけで食べられるようになるのは難しいみたい。だから、サラリーマンしながら作家活動している人も多いみたいよ」
わたしの言葉に、
「なるほど。それじゃ、今でも頑張ってるかもしれませんね、友人も」
感心したように頷く。
「すごいですよね。会社で仕事して、帰ってからも別のことで頑張ってるなんて」
「いやいや、そんな。好きでやってるだけのことだから」
あんまり褒められると恥ずかしい。
「俺なんて休日はダラダラ過ごしているだけですよ」
彼はそう言って苦笑いすると、真面目な顔になる。
「ちゃんとそういう趣味があるっていいですね。憧れます」
心を込めて言ってくれているのはわかっていた。それでも、わたしの気持ちがあっという間にこの場から遠ざかっていく。
「そろそろ中締めといきますか」
主任の声に、一同が揃って一本締めをした。これを潮に帰路につく人たちと共に、わたしも席を立つ。二次会に誘ってくれたイケメンくんをやんわりと断り、賑やかな店を後にした。