【小説】日曜日よりの使者 第3話
第3話
『来週もまた、見て下さいね!』
ジャンケンポン。僕と弟が出したのはグーだった。サザエさんの勝ち。
『あんたたち、いつまでテレビ見てるの!』
見計らったような母の檄が台所から飛んできた。
『明日の学校の仕度はできてるの?』
サザエさんの終わりは日曜日の終わり。ガッカリする気持ちをなだめる間も与えず、母が追い打ちをかける。
『あーあ、明日は学校か』
のろのろと炬燵から這い出た。母に渡された体操服を手に、弟と共に勉強机の置いてある部屋に向かう。
『明日は算数あるよ。やだなぁ』
『兄ちゃんなんて、一時間目から漢字テストだぞ』
『体育は縄跳びだし』
『こっちはマラソン。もっと最悪だよ』
弟のぼやきに、一つずつ丁寧にマウント返しをする。
『あーあ、月曜日やだなあ』
二人でぶつぶつ言いながらリビングに戻ると、
『あーあ、日曜日が終わってせいせいする』
母がわざとこちらを逆なでするような言い方でにやりと笑った。
『言っとくけどね、お母さんには日曜日なんてないんだからね。それどころか、会社や学校がないせいで、かえって忙しいんだから』
聞いてもいないのに、そんなことまで言い出した。僕が聞こえないふりをしていると、
『だったらお母さんだって休めばいいじゃん』
弟が顔を輝かせてそう言った。僕は横を向き、そっと眉をしかめる。あーあ、まんまと罠にかかるなんてバカだな。
『お母さんが休んだら、みんなのご飯はどうするの? 洗濯は? お風呂は?』
思った通り、母が勝ち誇ったように言った。唇を突き出し目を見開き、鼻の穴も膨らんでいる。
『あんたたちがそうやってのんびりしていられるのは、お母さんが日曜日もこうして家のことをしてるからなの』
黙り込んだ僕たちに、母はそれだけ言い残して台所へ戻っていった。
日曜日を終わらせるのはサザエさんじゃない、お母さんだ。
『お母さんは、日曜日なんていらないわ』
そんなこと言われたら、せっかくの安息日が台無しだ。
洗濯なんて、別にしなくても構わない。お風呂だって、入らなくて済むならむしろラッキーだ。ご飯は……なにか出前でも頼めばいいじゃんか。
だから、日曜日は終わらないでほしい。日曜日だけは、二十四時間よりもっと長くていい。それとも、一週間に二回あれば……いや、ずっとずっと、毎日が日曜日だったらいいのに───。
ふいに目が覚めた。明るい光が僕の顔を照らしている。さっきまで見ていた夢がまだ強く残っていて、ここはどこなのか、自分が果たして何歳だったか思い出せなかった。
「えっ」
見慣れない景色に飛び上がり、突然にすべてを思い出した。そうだ、僕は確かおかしな車に乗ったんだ……。
車はまだ走り続けている。外は明るい。運転席では、僕が寝入る前と同じ姿勢で使者がハンドルを握っている。
「あ、あのっ!」
男性が前方から目を逸らさずに、少しだけ僕に横顔を向ける。
「すみません、ここってどこですか!?」
なんてことをしてしまったのか。たちまち日曜日気分がすっ飛び、代わりに頭の中を現実的な焦りが覆いつくす。
「やばっ、今何時!?」
車に取り付けられた、文字盤が回転する時計に目をやると、八時五十三分と表示されている。
「まだ寝ていらして大丈夫ですよ」
「いや、もうこんな時間だし、会社に電話しないと」
僕は助手席のシートにしがみつくようにして運転席の男性を覗きこんだ。
「本日は、会社はお休みではないですか?」
「そんなわけないですよ! すみません、ここは一体」
一体どこまで来てしまったのだろう。僕のポケットにある所持金で帰れるだろうか。
「でも、日曜日はお休みですよね?」
「はあ? 今日は月曜日でしょ」
まずい、このままじゃ無断欠勤だ。上司の怒り狂う顔が浮かぶ。確か、午前中にアポがひとつあったはずだ。
「いいえ、今日は日曜日ですよ」
男性の言葉に、僕は驚いて窓の外に目をやった。まるでどこか遠い国の、田舎の風景のようだ。だだっ広い田園の中に、ぽつりと小さな可愛い家が建っている。
「あなたはもう、日曜日の国に入ったんです」
「えっ……」
小さな家の前を通過してしばらく走ると、別の家が見え始めた。屋根はパステルカラーで彩られていて、まるでおもちゃの家のようだ。
使者はそれからしばらく車を走らせてから、モスグリーンの屋根の家の前に停まった。
「さあ、こちらはあなたの家です。どうぞ、好きにお使い下さい」
えっ、本当!?
使者がノブを回してドアを大きく開けた。鍵はかかっていない。鍵穴さえない。
家はこぢんまりしているが、新しそうだ。部屋は清潔で、家具も一通りのものは揃っている。壁もカーテンも照明も新しい。もちろん、バス、トイレ、キッチンもある。
「それほど広くはありませんが、生活するのに問題はないと思われます」
使者が僕の後ろからそう言った。
「あの、ここは本当に日曜日の国なんですか……?」
カーテンの隙間から外を眺めながら尋ねる。
「ええ、そうですよ」
使者がリモコンをテレビに向けた。戦隊ヒーローのドラマが流れた。
子供のころはよく見ていた、日曜日の朝に放映している特撮ものだ。ええと今期のヒーローは確か……。
「ゲーム機はこちらの扉の中に。ハードもソフトもいろいろ揃えてあります。こちらの食品庫にはレトルトとカップラーメンが入っています。お肉やお野菜は冷凍庫に。時々、わたしが補充しにまいります」
「あの、ここに住んで本当にいいんですか……?」
「ええ、もちろんです」
「部屋代や食事代は……?」
「日曜日の国で、お金は必要ありません」
使者は恭しくそう言って、玄関のノブに手をかけた。
「待って下さい、あの」
「はい」
使者が振り返る。しかしその顔を見ているうちに、口元に登っていたはずの質問がすうっと消えた。それだけじゃない。頭の中にたくさんあったはずの疑問符が、ドミノ倒しみたいにぱたぱたと倒れていく。
「いいや、なんでもない」
ぶらぶらしていた両手を身体の後ろに組んだ。
「それでは、よい日曜日を」
使者が去っていく。僕は部屋に戻ってテレビの前に転がった。久しぶりの戦隊ものドラマだ。特撮技術が上がっていて、しかもヒロインが可愛い。ストーリーも凝っていて、なかなか見ごたえがあった。
とろりと眠くなる。今日はまだ始まったばかりだ。早く目が覚めてしまった日曜日には、二度寝ができるという幸せなご褒美がある。
ブランケットの中にもぐりこんだ。ほんの少しお腹が空いたような気がするけれど、眠気の方が勝っている。起きてから食べればいいや。
周囲の音が遠くなる。部屋は暖かい。つけっぱなしのテレビの音が僕の瞼を重くする。
ブランケットの匂いに包まれながら、僕は脳みそがとろけそうなほど気持ちの良い二度寝の世界に船を漕ぎだした。