【小説】もうひとりの転校生 最終話
最終話
廊下を歩いていたら、喫煙所から出てきた人とばったり顔を合わせた。先輩の横山さんだ。
「あら、大島くん。こんな時間から出勤?」
俺の姿に目を留めると、彼女はにやりと笑い、
「なによ、もう辞めちゃったの。ダイエット」
冷やかすように言いながら、俺が出てきたエレベーターに顎を向ける。
黙って目を伏せた。根性ナシと思われるのは癪だが、しばらく階段はごめんだ。
「どうしたの、その顔」
言われて、顎の傷に手を触れた。大きめの絆創膏が貼ってある。
「いや、ちょっと」
うまい言い訳が思いつかず、言葉を濁すと、
「そういえばさっき、瀬能さんが出社してきたんだけど」
ポケットからガムを取り出して口に放り込んでから、先輩が俺に近づいた。
「名古屋から戻ったチームは午後出勤でいいはずなのに、ずいぶん早く来たなーと思ったら」
ひそめた声をそこで切り、面白そうにきょろりと目を動かすと、
「包帯だらけなの。ビックリしちゃった」
そう言って、肩をすくめながら誰もいない廊下を振り返る。
「ああ……」
思わず呟いた俺に、先輩が目を瞠り、
「なんで知ってるの」
「いや、あの」
背中に汗が噴き出す。
「さっき、ちょっと」
慌てて言うと、先輩は俺の腕を軽く叩き、
「それだけじゃないの」
耳に顔を近づける。かすかに煙草の匂いが鼻についた。
「名古屋から荷物を送ったって報告を受けたけど、別人かと思った。なんだか落ち着いててキビキビしてて。いつもオドオドしてるのにね」
そう言って俺に目をやり、
「ああ、大島くんは一緒に仕事したことないから知らないか」
苦笑いした。曖昧に頷く。
「なにかあったのかしらねえ、名古屋で」
ドキッとした。先輩は一人で納得したように鼻を鳴らすと、自分の仕事へ戻っていった。
「大島」
席に鞄を置いたとたんに、上司に声をかけられた。返事をする前に、
「前田の病院に寄ってたんだろ。どうだった」
当たり前の口調で尋ねられた。お見通しか。
「検査の結果、異常はなかったようで、即日退院できるそうです」
同期に代わって応える。さっき電車に乗っている間に、スマホに連絡が届いていた。
「そうか」
上司が頷くと、
「報告書はゆっくりで構わないが、あいつのことだから明日には出社するかもな」
「いや、これから来るそうです」
上司が目を瞠った。俺は渋い顔になる。
無理をするな、今日くらい休めと何度もメッセージを送ったのだが、まったく聞き入れようとしない。最後は諦めた。
「そしたら、あいつが来たら俺の部屋に来るように言ってくれ。話があるからって」
丸めた雑誌で自分の肩をぽんぽんと叩きながら、上司が去っていく。心なしか、その足取りは軽い。
きっと板野の再雇用の件だろう。あの様子なら、きっとうまくいったに違いない。
名古屋の支店長の顔が浮かんだ。彼にも今頃伝わっているだろう。胸にふつふつと温かい気持ちがこみ上げる。
「さてと」
俺は腕まくりをすると、今日の仕事に取り掛かった。
おわり
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