【短編小説】徒労の人 ~なぜ書くのか~ 第3話
第3話
洞窟の天井に開いた穴から、銀色の月明りが差し込んでいる。
夥しい石筍は、巨大な怪物が闖入者に向かって牙をむき出しにしているようだ。月明かりが足元の水たまりに反射し、壁に不気味な影を貼りつける。
影は集まって大きな闇を作り、得体のしれないなにかを包み隠そうとする。男たちは言葉を失い、立ち尽くした。じめじめとした空気がひやりと肌を撫で、洞窟の入り口の仕掛けで仲間の一人の首と胴が離れた時の衝撃を生々しくよみがえらせる。
男たちは自然とひと固まりになり、せわしなく辺りに目を走らせた。息をひそめて待ち構えているなにかに、うなじを晒す度胸はない。
重々しい足音が響いた。男たちは一斉に道を開ける。分厚いブーツの底で石灰石の欠片を踏みしだき、一人の男が現れた。
「首領……ここで間違いないんですかい」
手下の一人がおずおずと声をかける。首領は眉をひそめ、怯えたように立ち尽くす一同に鼻を鳴らした。ベルトに手を差し込み、鎖のついた時計を取り出す。
「時間だ」
首領の声に、男たちは辺りを見回した。なにも起こらない。やがて、首領の目が天井の穴に向けられていることに気がついた。
天井の穴から差し込む月の光がわずかに傾き、石灰石の台のようなものに当たった。上部にある鏡のように磨き上げられた盆に反射した光が、前方を照らし出す。
「ああっ」
男たちが声を上げた。暗く大きな部屋のような空間の先に、もう一つの小さな空間が姿を現した。石でできた方錐形の祭壇のようなものが、地面の割れ目から浮かび上がってくる。
「さあ、お前の出番だ」
首領が後ろを振り返り、顎をしゃくった。手下が一人の少女を押し出す。後ろ手に縛られた少女はよろけた足をぐっと踏みしめ、首領と男たちを真っ直ぐに睨んだ。
「聖杯を手にすることができるのは……王女さま、王家の血を引くものだけだ」
恭しい口調とは裏腹に、首領は少女の後ろ髪を掴み上げた。屈辱に顔を歪ませた少女に、首領が黄色い歯をむき出しにして笑う。
「さあ、哀れな王女さま。行くんだ」
縄を解かれた少女が手首をさすった。男たちは下卑た笑みを浮かべながら、手にした剣をちらつかせる。
少女はもう一度男たちを睨みつけると、前方にある祭壇に目を凝らした。奥歯を噛みしめ、少女は祭壇に続くうす暗い大きな部屋のような空間に足を踏み入れた。
よく見ると、足元には敷石があった。果たして敷石を踏むのが正解なのか、それとも罠か。少女は恐る恐るそこに足を乗せた。
「あっ!」
敷石がわずかに沈む。バランスを崩しかけ、少女は次の足を二つ目の敷石に乗せた。敷石はほんの少し沈むだけで、少女の重みを支えている。
敷石を渡り終えると、暗く大きな空間を抜けていた。光の当たっている祭壇の前に立つ。
祭壇の上部には穴が開いており、そこに水が溜まっていた。光の加減なのか、水は鏡のように少女の顔を映し出すだけで、その中になにが隠されているのか見えない。
少女は小石を拾い上げ、そっと落としてみた。揺れる水面はそこに映る少女の顔を歪ませただけで、その奥を見せようとはしない。
「さあ、聖杯を取り出せ」
首領の声が響いた。少女は袖をまくり、そっと水の中に手を入れた。そのとたん、まるで手首から先が消えてなくなったかのように見えなくなる。
少女は息をつめて目を細めると、思い切ったように水の中に両腕を伸ばした。首領と手下たちが固唾を飲んで見守る。
小さな悲鳴と共に、少女が水の中からなにかを取り出した。まるで泥のようにまとわりつき、ゆっくりとしたたり落ちる様子から、その液体がただの水ではなかったことがわかる。
「こっちに見せろ。本当に聖杯なのか」
首領が大きな声で叫んだ。ブーツの足が敷石を踏む。
そのとたん、大きな石筍が首領の頭を鋭く貫いた。声を上げる間もなく、首領が絶命する。
男たちもまた、首領に駆け寄ることもできなかった。無数の石筍が飛んできては、男たちの身体を貫いていく。少女は無我夢中で聖杯を抱きしめ、もう片方の腕で自分を庇った。
しかし石筍は男たちを残らず倒すと、ぴたりと止まった。次の瞬間、大きな地響きと共に少女の背後の岩が開いていく。地上へと続く穴が現れた。
「……哀れな盗賊たち」
少女は呟いた。静かになった洞窟に背を向ける。聖杯を抱え直し、月の光が祝福する地上へと傾斜を登っていった。