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案外生きてる

去年、月に一回はnoteを書こうと、「やりたいことリスト」に入れてたというのにこの体たらく。

去年は2回転職した。

7年少し働いていた会社が買収されて、親会社の方針に納得できなくなり辞めたのが1月。その後働いた法律事務所は、パワハラを放置しておきながらさも「みんな和気藹々と仕事をしている素晴らしい職場です」という雰囲気を醸し出していて、気持ち悪くて9ヶ月で辞めた(上司と2時間面談して言いたいことは言い切った)
11月からは、委託された業務を行うチームのリーダーとして働いているが、ここではまた委託元のセクハラ(私は被害者ではないが近しい人が被害者だった)し、仕事が降りてくるのが遅くて期日に間に合わなかったり、指示がわからなすぎて現場が混乱するなどのカオス。そのせいで私が管理すべきスタッフがどんどん辞めていき、新人ばかりで仕事が回っていない。
私はひとまず、私が理解している仕事をこの2月から入ってきたスタッフ二人に教えながら、まだ回せない仕事をせっせとやったり、3月に退職するスタッフの引き継ぎや愚痴を一身に受けたりしている。所定労働時間内は新人指導に振り回されるので、私が持ってる仕事は定時以降にしか行えなかった。

毎日「誰か助けて」と思いながら暮らしている。

好きなことが楽しめなくなったり、休みの日にまで仕事のことを考えるようになった時にはいよいよヤバいので逃げようと思っている。 
そして私は、X(旧Twitter)が見れなくなってしまった。ツイ廃というほどではないにしろ、TLに張り付いてリロードしまくっていた私が、だ。
世界で起こっている虐殺や、日本で起こっている差別や搾取、信用ならない政治家の裏金問題など、今の私には受け止められるものではなかった。心が健康な時には、そういうポストにも反応してリポストしたり、賛同したり、署名したり社会の一員として出来る限りのことはできていたのに、今はそれが全くできなくなってしまった。
フォロワーの何気ないポストにも、私の生活との差を感じてしまって辛くなるし、見ず知らずの人の楽しそうなツイートが羨ましいというよりは妬ましくなってしまった。

自分の状態を客観視できていると自負して、対応としてSNS全般から離れることができている。Xに張り付いていた通勤電車では、やることがないのでぼーっとしている。先週までは本を読んでいたが、今はそれも少ししんどい(図書館で借りてしまったので、返却期限までになんとか読み切りたいものだが)

そうやって悶々としてこの文章をしたためていたら、帰りの電車を乗り過ごしていた。乗っていた電車は急行だった。私の最寄駅は急行には止まらないのに。全部上手くいかない、と何かのせいにしたいけど、そうもいかないみたいなのでなんとかやり過ごして生きていこうと思う。