ペニー・レイン Vol.4
ふたたび、その私立学校に向ったのは、週末の晴れ渡った夕暮れだった。ぼくは、ひとりで校門のかげから学校の様子を伺った。
あの日から、ぼくとキムの間ではサックス少年のことは口にしなくなっていた。期待に胸をふくらませて少年探しを始めたのに、例の件でいやな印象が残ってしまった。でも、そのままにしておくのは残念すぎた。どうしても、彼と会って話してみたい。でも、ゼッタイにキムを同じような目に合わせたくない。だったら、ひとりで行ってみよう。
校舎は西日でオレンジ色に染まっていて、生徒たちは校舎から寄宿舎へ移動を始めていた。ぼくは、ごくり、とつばを飲みこむと、西の門へ回って中へ入っていった。そして、できるだけおとなしそうな少年を捕まえて、聞いた。
「エドワードっていう子を探しているんだけど」
少年は、ちょっと首を傾げて聞き返した。
「何年生のエドワード?」
そこまでは知らない。ふたたび、別の二人組を捕まえて聞いたが、二人とも知らないって顔をした。やっと、メガネをかけた頭のよさそうな少年が、こう言った。
「エドワードって、エドワード・キャンベルのこと?」
ぼくは、とにかくぶんぶんと頭を立てに振った。メガネの秀才くんは、ちょっと目を遠くにやって言った。
「あいつ、授業も学校もさぼりがちだからなぁ。すぐどっか行っちゃうんだよ」
ぼくは思いきって聞いてみた。
「あの、ひょっとして、サックスを吹いたりしてない? 金髪で、背が高くて、ちょっとハンサムで」
彼は、首を傾げてあごに手を当てた。
「サックス? どうかなあ。ぼくは見たことないけど。でもその外見からすると合ってるかな。ぼくは同じ部屋じゃないけど、何かことづけがあったら伝えておくけど」
そんな大人のやりとりはしたことがないので、ぼくは彼のとっさの提案にどぎまぎしてしまった。
「あの、ことづけってほどじゃないんですけど……」
秀才くんは、メガネの奥から、やさしそうな目でぼくを見た。信じてみようか。彼なら、あの少年に伝えてくれるかもしれない。ぼくは直感的にそう思った。
「じゃあ……ぼくの店に来てください、って伝えてくれませんか」
「店?」
秀才くんは、不可解な顔をした。ぼくは慌てて付け足した。
「ぼくとママがやっている店です。『ディキシー・ジャズ』って言って、サウスサウンド通り五丁目の角です」
彼は、どれどれ、ちょっと待ってね、と言って、ぼくの言った住所をメモした。ぼくは、おねがいします、と軽く頭を下げてその場を後にした。
ほっと息をついて門を出ると、空はすっかり夕焼けだった。空全体が甘いピンク色に染まっている。ぼくは、大きく息を吸いこんでから一歩踏み出した。
ここで、少しパパのことについて言おう。
ぼくには、生まれたときからパパがいない。
いない、というのは、ママが結婚をしなかったからだ。父親はどこかにいるはずなのだけれど、今、生きているのか、どこにいるのか、何をやっていた人なのか。ママからはっきり聞いたことはない。
パパ、という人についての話はこれだけだ。
何の想い出も、記憶もない。
父親のことを考えるとき、連続してうっすらと頭をかすめることがある。
ぼくが三歳ぐらいのときまで、店に一枚の写真が飾ってあった。店のようなところで、若いころのママと、男の人が何人か写っていた。大きなグランドピアノと、それを囲むようにして写っていたママと古い仲間たち。ピアノのイスに座ってた男の人の顔が、なんとなく印象的だったのをぼんやり覚えている。なんか、ちょっと深い目をしていて。
その写真は、もの心ついたころには店から外されていた。ママがどこかにしまいこんだのだ。ぼくは、その古い写真――ぼくの中では、知らない昔を想像する美しい一枚の〞絵〟のようだった――が、どこにあるのか、何度かママに聞いた記憶がある。
もしも、その〞絵〟が出てきたら、もう少しだけ、ぼくのなかでもやもやしているいろんなことがわかるような気がしている。パパのことだけに限らず。
ぼくは、そのことを思うといつも胸の奥がきゅっと切なくなる。
とくに、今日みたいに少し冒険があって夕焼け空が心にしみるほどきれいな日には。ぼくは、途中からタップのステップを踏みながら、家路に向った。
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