この世のむなしさを悟らない人は、その人自身がまさにむなしいのだ。(パンセ断章164 中公文庫)
パスカル(1623~1662)のパンセに少し触れただけで、その切れ味の確かさに驚嘆したものでした。わたしは昨年3月にガン宣告を受けて、死とは何だろうかと、その視点で読んでみました。
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私たちは、むなしさから逃れるために、多くの気を紛らすことをする。
沢山の例があるが、いくつかをあげてみます。
「他人の観念の中で仮想の生活をしようとし、そのために外見を整えることに努力する。われわれは絶えず、われわれのこの仮想の存在を美化し、保存することのために働き、本当の存在の方をおろそかにする。(断章147)」
「恋愛の原因と結果とをよく眺めてみること以上に、人間どものむなしさをよく示すものはない。(断章163-2)」
「われわれは絶壁が見えないようにするために、何か目をさえぎるものを前方に置いた後、安心して絶壁の方へ走っているのである。(断章183)」
そして、死についても、気を紛らすこととして
「死というものは、それについて考えないで、それを受ける方が、その危険なしにそれを考えるよりも、容易である。(断章166)」
「人間は、死と不幸と無知とを癒やすことができなかったので、幸福になるために、それらのことについて考えないことにした。(断章168)」
はたして、気晴らしなどをして考えないようにすることで、死と倦怠を越えられるのでしょうか。
「われわれの惨めさを慰めてくれるただ1つのものは、気を紛らすことである。しかしこれこそ、われわれの惨めさの最大なものである。なぜなら、われわれが自分自身について考えるのを妨げ、われわれを知らず知らずのうちに滅びに至らせるものは、まさにそれだからである。(断章171)」
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パスカルは、気を紛れさせることは自分自身からの逃避なので、自分自身について考えましょうと言っている。
「考えが人間の偉大さをつくる。」(断章346)
これが、あの考える葦(断章347)としての人間の尊厳なのだ。
「人間はひとくきの葦にすぎない。自然の中で最も弱いものである。だが、それは考える葦である。彼を押しつぶすために、宇宙全体が武装するには及ばない。蒸気や一滴の水でも彼を殺すのに十分である。だが、宇宙が彼を押しつぶしても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ぬことと、宇宙の自分に対する優劣とを知っているからである。宇宙は何も知らない。
だから、われわれの尊厳のすべては、考える事の中にある。」
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パスカルは、その尊厳にも痂皮があると言うのです。
「考えとは、その本生からいって、何と偉大で、その欠点からいって、なんと卑しいものだろう。(断章365)」
考えは、滑稽なことに、一寸したことで乱され、忘れられてしまうからである。そして、自らの内には救いは無いという。
「ああ、人よ、あなた方があなた方自身の中に、あなたがたの惨めさに対する救済を求めてもむだである。あなたがたのすべての光りは、あなたがたが真理や善やを見いだすのは、あなた方自身の中ではないのだと悟るところまでしか到達できないのである。(断片430)」
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死に対するおそれに対しては、いくら考えても救済はない。あるのは単なる気晴らしだ。それでは、命にどう向き合って行けば良いのだろうか。
わたし自分の死は自分の生の一部だということ。死そのものはわたし自分でとらえることはできない、だから、特に死に対するおそれは死そのものではなくて、死の感想に過ぎない。死の感想は死を見る視点によって作られるのだと知った。
その事は、養老孟司先生の「老い方 死に方」に次のように書いてあった。
「死 について は、 三つ の 種類 に 分け て 考える と わかり やすい。 一人称 の 死、 二人称 の 死、 三人称 の 死。 一人称 の 死 は いま 言っ た よう に、 死ん だら もう 自分 で『 あ、 死ん だ』 と 意識 でき ない から、 あっ て ない よう な もの です。 三人称 の 死 は、 世界中 の あらゆる ところ で 死ん でる 誰 かで、 自分 とは ほぼ 無関係 でしょ。 だから 二人称 ─ ─ 肉親 や 親しい 人 の 死 だけな ん です、 心 に 深い 傷 を 負う のは。」
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世界中に、死後の世界のはなしがあり、実証できないものばかり。
パスカルの話も面白かったけれど、養老孟司先生のお話は、心を軽くしてくれました。話しがすり替わってしまったようですが、どう考えても結果は出てきませんよと言われてしまったので、このような結末となりました。
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追加
◆人は、死ぬことを避けることはできないけれど、それをどう受け止めるかは、自分で選ぶことはできる。(自省録 マルクス・アウレリウス)
◆気を紛らすことは、この世のむなしさを遠ざけ、その人自身をむなしくする。その結果、その人自身のほんとうの死に至らせる。(パンセ パスカル)
164. Qui ne voit pas la vanité du monde est bien vain lui-même. Aussi qui ne la voit, excepté de jeunes gens qui sont tous dans le bruit, dans le divertissement, et dans la pensée de l’avenir? Mais, ôtez leur divertissement, vous les verrez se sécher d’ennui; ils sentent alors leur néant sans le connaître ; car c’est bien être malheureux que d’être dans une tristesse insupportable, aussitôt qu’on est réduit à se considérer, et à n’en être point diverti.
147. Nous ne nous contentons pas de la vie que nous avons en nous et en notre propre être : nous voulons vivre dans l’idée des autres d’une vie imaginaire, et nous nous efforçons pour cela de paraître. Nous travaillons incessamment à embellir et conserver notre être imaginaire et négligeons le véritable. Et si nous avons ou la tranquillité, ou la générosité, ou la fidélité, nous nous empressons de la faire savoir, afin d’attacher ces vertus-là à notre autre être, et les détacherions plutôt de nous pour les joindre à l’autre ; nous serions [serons] de bon cœur poltrons pour en acquérir la réputation d’être vaillants. Grande marque du néant de notre propre être, de n’être pas satisfait de l’un sans l’autre, et d’échanger souvent l’un pour l’autre ! Car qui ne mourrait pour conserver son honneur, celui-là serait infâme.
171. Misère. –La seule chose qui nous console de nos misères est le divertissement, et cependant c’est la plus grande de nos misères. Car c’est cela qui nous empêche principalement de songer à nous, et qui nous fait perdre insensiblement. Sans cela, nous serions dans l’ennui, et cet ennui nous pousserait à chercher un moyen plus solide d’en sortir. Mais le divertissement nous amuse, et nous fait arriver insensiblement à la mort.
347. L’homme n’est qu’un roseau, le plus faible de la nature ; mais c’est un roseau pensant. Il ne faut pas que l’univers entier s’arme pour l’écraser: une vapeur, une goutte d’eau, suffit pur le tuer. Mais, quand l’univers l’écraserait, l’homme serait encore plus noble que ce qui le tue, puisqu’il sait qu’il meurt, et l’avantage que l’univers a sur lui ; l’univers n’en sait rien. Toute notre dignité consiste donc en la pensée. C’est de là qu’il nous faut relever et non de l’espace et de la durée, que nous ne saurions remplir. Travaillons donc à bien penser: voilà le principe de la morale.