自傷行為が酷くなる
閉鎖病棟での生活も終わり、安心したのも束の間
私は市販薬でODをしながらリストカットをするようになっていた。
リスカをするのは初めてではない。小学校5年生からはじまっていた。
初めは針で傷つける、そして中学生の頃にはカッター、中学卒業後には貝印の剃刀になっていた。
家庭の事情で私は自分の部屋を与えられた。今思えばそれがいけなかったであろうと思う。
当時16歳私はこの時期の記憶が全く無いのだ、、。
今でもあの頃は人生のどん底だったと思う。
なぜか私のカメラロールにこの時のリストカットの画像がたくさん残っている。
ここには載せれないがとても見れたものではない。肉だけじゃなくうっすら骨まで見えていたのだ。
この時の唯一の記憶は一番深い傷を作った時3日後に母にごめんなさいと伝えたことだけだ。そこからの記憶は一切ない。
そんな生活が続いていたある日の事
母が
リスカをやめるって約束しない?
と言う提案があった。私はこれ以上母に迷惑をかけたくない!
その思いからもうリストカットは今でもやっていない。
今後私がリストカットをする日が来ないことを願っています、、。
最後まで読んで頂き誠にありがとうございました☺️
次回、拒食症編でお会いしましょう!愛でした。
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