フロイデから未経験者がエンジニアに育ったたったひとつの理由
1.社歴13年の社員2人と久々に忘年会
昨日はフロイデの13年超え社員2人と小倉で久々に飲みました。場所は北九州市小倉にある白頭山。いつでも開いていてタバコをガンガン吸えて多少ガサツな話をしても怒られない昭和感あふれる素敵なお店です。そんなお店で昭和な3人は、今の会社の課題や自分達のあるべき姿と今後の方向性や最近入社したデラべっぴんな女性社員の話や社内外の恋愛模様などをひととおり語った後、自然と昔の話で盛り上がりました。
2.恐る恐る社員を採用し始めた頃の私
13年前はちょうど強制起業を経て恐る恐る社員を雇用しはじめた頃で、今以上に人脈もお金もなく、今以上にコミュ障で、今以上に不安を抱え、今以上にマネジメントスキルもなく、今以上に猛々しい、まるで子供産んだばかりの野犬のようにヒリヒリした女性起業家でした。ビジョンやミッションなど考えたこともなく、ただただ社員1号の夫をはじめとする10人足らずの社員を食べさせる責任を勝手に一身に負いながら、先の見えない不妊治療と、先行き不安な会社と家庭両方の金策とで、今の3倍くらい働いていた気がします。
3.社員は我が子、だからこそ…
「社員は我が子」は、最初に社員を採用するときから意識していた私の中のスローガンでした。それくらいの覚悟をもって採用しないといけないと、あの時も今も変わらず私は思っています。ただその頃の私には子どもがおらず、さらに未経験ばかり採用していたために、"この子たちを一人前にしないといけない!"という責任感で焦りすぎ、我が子同様の社員達から見たら、かなり荒々しいスパルタママだったように思います。その当時は、我ながらもう少し社員に優しくできないものかと悩むものの、それ以外に彼らを育てて安定的に給与を稼いで収益につなぐ術を知らない私は、いつも彼らを叱り飛ばしていました。
4.和やかな忘年会が社長吊し上げ会へ
その当時の話の中で、私は彼らに自分の荒っぽさを反省している旨伝えてちゃんと謝りました。ところがその途端、彼らの頭に当時の苦労が走馬灯のように蘇ったらしく、
「はじめてSQLさわる僕らに吉谷さんはいきなり一気にleft joinまでさらさらっと教えてさー組めっていったけどあれはどうかと思う」
「せめてもう少しselectから丁寧に教えてくれないと多分誰もわからない」
「テーブルってなんですか?って聞いたら、途中からいきなりシステム表領域の話をしはじめて、もっとわからなくなった」
「わかんないっつったら参考書が飛んできた」
と、開けてはいけない箱が開きにひらき、思い出してはいけない思い出話がどんどん炸裂していきました…
5.できると信じて疑っていなかった
ですがあの当時、荒かったかもしれませんが、私は必ず彼らが私が提示した課題ができるようになる、必ずエンジニアになると信じていました。そして実際、期間の違いはあるものの、彼らの大半は会社が提供する荒っぽいチャンスをちゃんとものにして、私よりはるかに優秀なエンジニアになっていきました。期待と機会は人を育てます。そして私のゴリゴリの期待と「私の期待を裏切れない」という思いは期待を裏切ったら参考書がとんでくる恐怖含めて当時の社員はみんな多かれ少なかれ持ってくれていたはずです。それが循環した結果、無職ニートフリーター達の大半がエンジニアとなっていったんだと私は思っています。
6.根幹は母性
そして私はなぜあの時私はあんなに疑いなく彼らを信じていたのでしょうか?「私のような勉強できない大学出てない30すぎた女がやれることを、こいつらがやれないはずはない」という確信もありましたが、やはり今子供をもって思うのは、私の情熱の根幹は母性だと改めて思います。そう考えると、たまたま入った会社のおばさん上司から合意なく圧の強い母性を注ぎ込まれた当時の社員達は改めて大変だったと思いますが…。これからもかつての社員には、こまめに「ありがとう」「ごめんね」の言葉を伝えていきます。そして今いる社員には、もう少しマイルドにした母性を自然に社内に漂わせる程度にします。