好きと推しを考える!

Twitterでふと呟いたことがきっかけです。
メイリッシュさんの推し活Dayにご帰宅したら机に推しのアクスタや写真を並べて楽しそうに過ごしてらっしゃる方々がいたんです。すごく素敵だと思って。なんだかそのテーブルがきらきらしてる感じ。

せっかくだから自分も…と思ってカラフルなクリームソーダのメニューを見てみたんですがやっぱりしっくり来なくって。いやそうですよね。だってわしはわし推しで(言ってて少し恥ずかしい笑)キャラクターやアイドルの推しはいないんです。っていうことを過去にもnoteに書いております。

でもその楽しそうにしているテーブルがちょっと羨ましくなっちゃったんです。だから本当に自分の推しは自分だけなのか?って(詳細は前述記事参照)もう一度考えてみようとしたわけでありんす。

まずこれも過去に書いている通り好きなものはたっくさんある!最近はcali≠gariのファンクラブ入ってライブもほとんど行っている!何かジャンルを絞った推しを聞かれると答えられるんだ!

例えば
推し漫画家→あき先生、酒井まゆ先生 など
推しバンド→cali≠gari
推しアーティスト→井上涼さん

でも漠然と「推しは何?」って聞かれるとそれはいないんだよな…この違いは一体なんなんだろ…。

上記の人たちも「推し」として上げてみたものの「好き」だけど「推し」とは違うのかもしれない…よくわからなくなってきたぞ…。

違いを見てみよう。
推し活していたテーブルにはアクスタと写真が並んでいた。そこのテーブルではとても幸せそうにアクスタと写真が愛でられていた。

お!ちょっと答えが見えそうだ。その人物自体ではなくわしはその人物が作り出す作品が好きなんだ。だからcali≠gariのアクスタが出てもそんなに欲しいと思わないしブロマイドも興味ない。ランダム缶バッチはライブの記念としてふたつほど引いたことがある。

涼さんもそうだ。本人のアクスタが出ることはないだろうしたぶんそういう需要があるアーティストではないだろう。ただ涼さんの描くイラストは好きで先日もオリジナルTシャツを買った。とても気に入っていて会社に着ていくほどだ。

おぉぉだいぶはっきりしてきたぞ。人物やキャラを眺めてるだけで幸せ、となれるほど好きな人物やキャラが自分にはいないんだ。これだ。
と言いつつ少し前にSKE48のえごちゃんの写真集買ってるけど。まぁ毎度グッズを買うほどではない。

あれ前回書いた推しを考える記事の内容と被ってくる?いやまだ大丈夫かな?(笑)

そういえばチコちゃんに叱られる!で「人はなんのために推しをつくるのか?」というのが取り上げられていました。
そのときの答えは要約すると「自分というものを確立させるため、自分を肯定するため」みたいなものでした。

わしはもともと自分の存在を自分で確立できている方だと思うので推しを作りたいという意識が薄いのかもしれない。
でも好きはたくさんある。きっとわしは「推し」の変わりに「好き」で自分を確立しているんだ。

あれだ。「推し」といえるほどひとつのことにのめり込むのではなく、たくさんの「好き」たちで自分を確立しているタイプなんだ。おぉーなんかすっきり。

そんな自分は嫌いではない。好きなものがたくさんあるのは良いことだと思っているから。
むしろひとつにのめり込むとそのひとつが消えたとき立ち直るまでに時間がかかりそうだから好きを分散させておく方が良いようにも思える。これはあくまでわしの考えですよ。

ただ推し活してるテーブルは羨ましいと感じてしまった。好きなものを愛で合う?というのはすごく楽しそうだった。自分はマイナーなものを好きになりがちなので、好きなものを「誰かと楽しむ」ということがあまりないからだと思う。
そういう仲間がいるというのは純粋に羨ましい。できるなら誰かとcali≠gariのライブ行ってみたい。今年はびじゅチューンのライブも一人だったけど誰かと行って感想を言い合うのはやはり楽しい。

というわけで結論。
わしの中では「推し」は人物やキャラクター自身に対して愛する、もしくはそれに近い感情。「好き」は人だけでなくモノに対する、愛すとはまた違う好意的な感情。というところでしょうか。

すごい当日にあった出来事を当日中にまとめられた!note書き始めて初めてのことなのでは!

まぁ好きなものを共有できるような友だちもほしいということですね(笑)この年齢になるとなかなか難しそうだわ…。

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