わたしの歴史 週末メイドの生活

きっかけは上京して1年半くらい経ったときだった。
もともと日本酒の揃いすぎている某メイドカフェの常連であった自分はその日も仕事終わりに日本酒を一杯ひっかけていた。ふと、隣で同じく日本酒を飲んでいたご主人様が日本酒をきっかけに話しかけてくれた。たぶんこれが、全ての始まり。

それをきっかけとしたまた別の場で、JAM AKIHABARAというメイドカフェを知り、スタッフを募集していると聞いた。接客業で生計を立てるつもりはなかったので週末だけでもいいのであれば働きたいと思った。実際それでも構わないくらいに当時のJAMは人手不足だったらしい。

そこからいろいろあって、でもお話は良い方向に進んでいって、JAMで採用してもらえることになった。 人の縁って本当にどう繋がるかわからないし、縁の力のすごさを感じさせられた。
またメイドさんになれるという喜びと、平日も週末も働いてやっていけるだろうかという体力面の不安と、正社員でしか働いたことないのに派遣社員の給料で生活していけるのかという金銭面の不安で、ごちゃごちゃだった。そもそも仕事と住まいが変わるということだけでも、精神的な負担は十分だったと思う。

最初の半年間ほどは、朝目覚めずに息絶えないかなと思うくらいには精神がやられてしまうこともあった。でも週末に秋葉原の世界に来れるのはかなり良い息抜きになって、なんだかんだ良いペースで続けていけてる。金銭面も、そりゃあ正社員のときと比べたら余裕ないけど(賞与もないし)、全然無理なく生活できてる。何より思考と心が健康になったのがよくわかった。

そんな週末メイドの生活を過ごして気がつけば2年と半年。唎酒師を取得して日本酒の仕入れを担当させてもらって、しかもそれからJAMの日本酒人気が高くなって、びっくりするほど私の生活は充実してる。外神田メイド協会さんを通じて、他店舗のメイドさんと交流させてもらうというすごく素敵な経験もできた。
事務職も、2年半働いたところは契約満了とともに退職したけど、直接雇用の話も持ちかけてもらえるほど必要としてもらえて、これまたびっくりするくらいたくさん餞別の品をいただいてしまって、なんて有り難い環境で働かせてもらえてたんだろうと感謝の思いが止まらない。新しい就業先も良い方々ばかりで、お肉もたくさんもらえて(笑)、本当に自分の運の良さに怖くなってしまうほど。

12年に一度2年間悪いことが続く大殺界なるものがあるって初めて占い師に見てもらったときに言われて、今はたぶんその正反対の幸運続きの時期なのかなって。占い好きだけど、頻繁にそれにお金を使うのも違うなと思ってて、見てもらうとしたら3年に一度だけって決めてるの(笑)
自分に運が向いてるうちに、自己研鑽しなきゃって思う。悪いことが続くとどうしてもいろんなやる気が削がれてしまうし。努力しないで掴めるチャンスを掴み損ねるなんてこともできる限り避けたい。

周りで「この資格取るために勉強してます」とか、「こういうことをやりたいから今これ頑張ってます」とか、そういった話を聞けると自分のモチベーションも上げられてとてもありがたいです。

自分のできていることなんてまだまだ薄っぺらいけど、せめて実年齢と同じだけ中身も成熟させたい。そんなわけで、週末メイドを楽しみに(まぁ平日も楽しく過ごしているんだけど)、昨日より1日分は成長できるように、今日も楽しく頑張っていきたいと思います。

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