醜い感情との向き合い方とは

人間だもの。きれいな感情だけでは生きていけませぬ。
むしろどろどろしたものを全く見せない人の方が怖い。
怖いし信用できないと思ってしまう。何を考えているのか全くわからないから。わしの場合はね。

さっそく話がずれてしまった。
きれいな感情だけでは生きていけないけれど。ただどろどろに支配されちゃうとね、立ち止まって何も前に進めなくなってしまうんですよね。10代の頃はただただ周りを羨んで自分は頭も容姿も恵まれなかったから何も上手くいかないんだと自分に言い訳してました。いやー楽なんですよねー、この自分に言い訳してる状態って。

その状態が格好悪いと気づいたのはおそらく20歳くらい。苦手なものから逃げることを甘えだと気づいたタイミングと同じくらいかも。部活動で練習意識の低い人たちともなんとか折り合いつけて上手くやっていかなければならない中で、考え方が少し大人に近づいた気がする。

あとは就職活動も大きなきっかけになった。
周りがどんどん内定をもらっていく中自分が初めて勝ち取ったのは4年生の10月。姉や兄はもっと早かった、もっと広く会社を見たらどうかと何もわかっていない母親からはアドバイスという名の攻撃。苦しい期間だったけど、ひたすら自分と向き合わないといけなかったから、自分の言動を冷静に、客観的に見つめ直すことができた。

その結果辿り着いたのが「恵まれていないと言い訳している状態ってただの子供では?というか言い訳したところで状況が良くなるわけでもないんだからいい加減目ぇ覚まして努力せーや」って感じでしたね(笑)


昔は本当に周りを羨ましいと思うことばかりだった。私は特に容姿コンプレックスが強くて、自虐ではなく本当にみにくい部類で、メイドさんになりたくても過去に4店舗から不採用を言い渡されている。

それでも諦められなくて、4年生の9月に最初のメイドさんとなる店舗になんとか採用してもらえることになった。ただやっぱり周りは細くて可愛い子ばっかりで、ずっと羨ましかった。


いったん話は変わりますが。
メイドカフェとは違うバイト先にくっきり二重のすごく可愛い子がいた。会話の中でその子に深く考えず「そんなにぱっちりおめめ持ってるのにそれ以上望むなんて贅沢!」と言ってしまったことがあった。その子には「悩みなんて人それぞれなんだからそんな風に言われる筋合いはない!」と至極当然のことを返されました。

そのときは反論されたことに少しびっくりしたけど、言われたことはすっと理解できたから「そっか…そうだよね…嫌な気持ちにさせてごめんね。」と素直に謝ることができた。その子も素直に謝られると思っていなかったようで、少しびっくりしながら「きつい言い方になってごめんね。」と言ってくれた。

のちのち会話していく中で、その子は可愛くなるために顔のマッサージをしたりいろいろ努力しているようだった。そりゃそれ以上は贅沢なんて言われたらキレますよね。冷静に言い返してくれたその子には感謝しかない。


おそらくこれも大きなきっかけのひとつだった。可愛い子だってそれを維持するために努力しているんだと。じゃあ可愛くもないのに努力もしていない自分は屑すぎるのではと。

可愛い子が羨ましい気持ちはあまり変わらなかったけど、ちゃんと自分の伸ばせるところを伸ばそうと努力するようになった。容姿はどうにもできないから、とにかくご帰宅するご主人様にお話しを楽しんでもらおうと、小さな話題から話を広げたり、会話の引き出しを広く持つことを意識して過ごすようになった。

だからこの前ベラさんが話の引き出しが多いので、ってnoteに書いてくださったのめーっちゃくちゃ嬉しかったです!!写真もきれいに見せられるように今度はタブレット持っていきますね!!!(私信アゲイン)



そんな感じで醜い感情に向き合いつつ成長はしていけてるかなと。ただ今でもしょっちゅう羨ましさは感じています。

ぱっちりおめめの人羨ましい。
鼻が小さい人羨ましい。
生まれつき歯並び良い人羨ましい。
太りにくい体質の人羨ましい。

羨ましさを感じたら、自分の恵まれてるところを思い浮かべるようにしてる。
海外で過ごせた経験、大学に行かせてもらって充実した学生生活を過ごせたこと、そしてもうできないと思っていたメイドさんを、社会人しながら続けられているこのご縁。それも3年以上。

今上げたことって、かなり幸運なことだと思うので。自分だって周りから見たら羨ましいと思われるものを持っているんだぞって、自分に言い聞かせる。いやーちっちゃいなーわし(笑)


やっぱり自分の持ってないものを持っている人に意識は行きがちですよね。冷静に振り返ると、戦争のない日本で生まれて毎日ごはん食べられて住む場所も着る服もあって、義務教育受けられて高校に行けてそこから進学なり就職なりできて大きなけがや病気をせず過ごせているなら、絶対恵まれている何かはあるはずだと思うのです。

世の中には本当に不幸が重なってしまう人もいるから「誰にだって」とは言えないけど。小さかったり些細なことだったりして見つけにくいだけで、誰かから見たら羨ましがられるものを何かしら持っている人の方が大半だとは思うのです。


びじゅチューンに「人を真似る瓶」って曲がありまして、まぁタイトルの通りお酒の瓶目線の歌なんですけどね、その中に

あなた方は美しい
触れるとやわらかいあったかい
ケンカをしても割れない
その繋がりなんだかうらやましい

って歌詞があるんです。あなた方っていうのは人間を指してます。

これは少々極端な話かもしれませんけれど、自分にとっては当たり前なことが違う立場からすると羨ましく見えていたりするんですよね。はっとさせられた歌詞でした。



生きていたらどうしても後ろ向きな感情は抱いてしまうものです。でも少し視点を変えればだいぶ生きやすくなると思ってます。

目を背けるのではなくて。
ちゃんとその醜い感情を受け止めたうえで、それを上回れるようにさらに努力を重ねるのか、それとも自分の他に磨けるところを見出して磨いていくのか。
はたまた醜い感情に沈みこんだまま腐るのか。

どう行動するかで人生の豊かさがかなり変わるんじゃないかなって。たかだか30年前後しか生きていない小娘が言ったところであまり説得力はないかもしれないけど(笑)



いやん想像の5倍ぐらい長くなってしまった!!しかももう6月の半ば!!5月中に上げる予定が!!

こんな長ったらしい文章を読んでくださったそこのあなた、本当にありがとうございます…。

それではまた書きたいことが出てきたときに。7月には現れたいな(笑)
梅雨が始まったようですが熱中症や夏バテに気をつけて過ごしていきましょう!\(‘ω’)/

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