ははおや とは
弱音げろげろのターン。
先日人生で一番幸運だったことを書いた通り、自分は相当恵まれた環境で育ってきたと思う。そもそも奨学金なしで大学4年間通わせてもらえるって、大学生のときの周りでは当たり前だったけど、ちょっと外の世界に出たら全く当たり前なことじゃない。
派遣先で自分と入れ違いになった人は、同い年だったけど、家が破産して大学に行けなかった、高卒なんですと言っていて。他の場所のお友達でも、片親だから大学行けるほどのお金がなかったって人も普通にいて。同じことを書きますが今までの人生振り返ると本当に恵まれてるんだなと感じた次第であります。
ただ、私は母親と折り合いが悪い。いや外から見たらとても良い母親だと思う。単身赴任で半年に1度しか父親は帰ってこない中で、3人の子どもを育てるって相当きついと思う。自分は無理だ。
大学生までお弁当作ってくれるというのも、当たり前のことではないと思う。高校生の時点でコンビニのパンやおにぎりが普通だった同級生もいたし。
しかしなんというか、私に対して基本否定的なのです。小さい頃から習字を習っていたけど、上手くできた作品を見せると上手上手と褒めたあとに、「でもここがちょっと…」とか「これが残念」とか、だいたい100%褒めることはない。いや親ってそういうもんでしょ、という声が聞こえてくる気がするけど、正直そんな気はするけど、当時の自分からしたら結構これが嫌だった。高校生か大学生くらいのときには何か上手にできても母親には何も言わなくなっていった。
これから書くのは今でも思い出されては私を苦しめている記憶、恐らく母親と折り合いが悪くなった一番大きなきっかけです。
習字教室では毎年3月頃に日帰りのバス旅行を行っていて、名目上は小6の子の修学旅行みたいな感じで、でもせっかくなら行ける子は年齢関係なく皆行こう、みたいなものがあった。
確か6年生まで自分はその旅行に参加したことなくて、でも参加者の集合写真は毎年見ていて、参加する前の年は親御さんと一緒の生徒が何人も写っていたので、6年生のときに母親に参加したい旨と一緒に来てほしい旨を伝えた。クルーズ船でのランチと、苺狩りのツアーだった。
一緒に行くことに渋られたけど、「去年の写真見たら保護者の人もたくさん来てたから」と言ったら母親も参加してくれることになった。小学6年生の私は、他の人は親子で来てるのに自分だけ一人という状況が怖かった。
でもいざ参加してみると、母親が来ていたのが自分だけ。大人の人は習字の先生と、生徒として通ってる大人の方と、自分の母親だけだった。他の小学生の生徒は、一人行動に慣れてる同い年の男の子と、高学年以上で友達同士で来ている人だった。
ちなみに次の年はまた親御さんもたくさん参加されていたので、本当にたまたまこの年だけ親子参加が自分たち以外なかっただけだった。
母親はこの状況がすごく嫌だったようで。
「保護者誰もいないじゃん」「皆お母さんが一緒って話じゃなかったの」「あの男の子みたいに一人でまわればよかったじゃん」
責められた。結構楽しみにしてたけど一気に嫌な気分になってしまった。「写真撮るから笑ってよ」なんて言われたけど、笑えるわけがない。後から写真見返したら見事に嫌そうな顔をしていた。
保護者が自分だけだったのが相当恥ずかしかったのか、その後は勝手な行動ばかりで、ランチの席も決まっているのに全然違うところ座ったりとか、習字教室の参加者たちではなく他のツアーの団体に紛れて苺のハウスに向かったりとか、教室の参加者からとにかく離れようとしていた。
私は呼び止めた。「お母さん、まだ皆来てないよ」って。返されたのは「別に皆と一緒に行動しなくていいんだよ」という言葉。
今思い返すと、本当によくわからない返し。なんだ一緒に行動しなくていいって。いやいやツアーで来てるんだから、自由行動の時間はわかるけど、団体なんだから移動は一緒に行動しなきゃだめでしょ。
でも12歳の私には言い返せる力がなかった。団体行動ができない母親が一緒で、ただただ恥ずかしかった。 そんな嫌な気持ちのまま日帰り旅行は終わった。帰り道に言われたのは「来年はもう一緒に行かないからね」。
母親の言うことはおかしい、と感じ始めたのはたぶんここから。いや子どものときって母親の言うことが絶対ってところあるじゃないですか。人によってはある程度身体的に大人になっても親の言うことは絶対って人もいるし。
なんだろう、全て信用したらダメだって思うようになった。反抗期のきっかけ。そして未だに反抗期が抜けた感じはしていない。母親の言うことはほとんど聞かなくなったから。
このバス旅行が最初の大きなきっかけで、それ以降は言ってることがおかしいとか、それ言ってどうなるの?みたいな、小さなきっかけがよく起こって、今に至っている、という感じだろうか。
こんなものなんですかね、母親って。皆どうやって乗り越えているんだろう。「うちもそんな感じだよ」って言われたこともあるけど、その子は家族が好きで家族仲が良い。どうして上手くやっていけるんだろう。
テレビで母娘が買い物しているところが流れると、羨ましいと思う。それと同時に悲しくなる。自分は母親と二人で出かけるのは想像できないし、出かけたくないし、そんな娘になれなかったことに悲しくなるというか。幸せそうな家族がテレビに写るとチャンネル変えちゃう。自分で書いてて闇深いなおい。
仕事が変わることを母親に連絡したら「前のところで続けられなかったのかな」と返された。決まったことに対して「何とかならなかったのか」と言ってくるのがうちの母親。私はそれがすごく嫌。
今までなら無視していたけれど、いつまでもこれじゃダメだと思って「決まったことにどうこう言わないでほしい。ネガティブなことを言わないでほしい。大変そうだけど頑張ってね、って言ってもらえたら嬉しい。」と返信した。自分としては向き合ったつもりだった。
だがしかし、返信は来なかった。向き合ったのに何も返されなくて、本格的に母親を見放したというか、見限ったというか、そんな感情に陥っている。
お盆と正月は帰省していたけど、この件があったので今年の正月の帰省はどうしようかかなり迷っている。
端から見たらまだまだ子供だな、と思われるんだろうか。でもそれも嫌だから向き合ったのに、相手に逃げられた。また自分から向き合う気は今のところ起こらない。
今までで一番長いnoteになってしまった。最後まで目を通してくださった方本当にありがとうございます。
自分の母親の問題なんて「うちよりずっとましだろ!」なんて言葉が飛んできそうなくらいちっぽけなことなのかもと思いつつも、それでも私は苦しめられている。自分からしたら十分毒親だ。
暗い話で申し訳ない!でもずっと苦しめてくる記憶を文字に発散できてちょっと気が楽になりました!誰かに話す機会もないんだもん!
父親にありのままを愚痴るか。そしたら何か変わるだろうか。また進展あったらここに書きます。