"あこがれ" と "心地よさ" と。
例えば洋風のものって
それだけでかっこいいし
憧れちゃうよね。
モーニングコーヒーと
クロワッサン
とか
オサレカフェで
カフェオレとパンケーキ
とか
ハイブランドの
きらびやかなドレス
ホテルラウンジでの
きらきらアフヌン
そういうの
似合う人への
憧れがないわけではないし
そういう日常を
送ろうと思えば
そう難しいものでもないだろう。
だけど、
わたしの体と心は
小麦粉よりも
コメを喜ぶし
きらびやかなドレスよりも
和服がときめくし
アフヌンよりも
子どもとこねる月見団子の方が満たされる。
つまり、
そういうことなんだと思う。
世間一般から見える
ハイカラでハイソなものを
まとわなくったって
心地よくて
センスのいい生活って
普通にできる。
もっと心根に素直に従ったら
もっと心地よい暮らしが
積み重ねられるってこと
わたしはもう知ってる。
お灸ひとつとったって
シミシワだらけの
裏のおばあちゃんが
タバコの煙と一緒に
くゆらせていたイメージがあったけど
それを「わたしが」どう生活に採り入れるかは
過去のイメージとは全然関係がない。
周りの人の持つイメージなんか
もっと関係がない。
自分が自分のために
選んだものだけを
わたしの生きる時空に並べて
そうしてくれた自分に
感謝し、今在るものを実感する。
それだけで、
心地よさは継続していく。
あわよくば
な〜んてくらいに
「わたし」がガンと
そこに在るのに憧れるなあ。
でもね、多分それは
自分の選択を
自分の行動を
堂々と愛するだけで
実現するんだよね。
わたしは愛するよ。
自分を。
自分の選んだ道を。
愛しくて仕方のない
自分の人生を
これからも作り上げてゆくのだ。
まだ途上。
日々是精進なり。