全く我のない人の療養生活
全く我のない人、それは、うちの母だ。
前から思ってはいたが、介護しながら母と関わるうちに、この人は本当に我がないなーと実感してきた今日この頃である。
逆に私と弟はめちゃくちゃ我が強いため、二人で母親の我を全て吸い取って生まれてきたのではなかろうかと思ってしまう。いや、きっとそうに違いない(笑)
「お母さんは何でもいいで」「あんたら好きなもん選び」だいたいの母親はそんな感じだろうと思うのだが、我慢している感が一切ない。
以前、家族で旅行に行った際に、絵馬かなんかに『みんなの幸せが、私の幸せ(正確な言葉は忘れてしまったのですが、そういう主旨のこと)』と書いて、ニコニコと嬉しそうに括り付けているのを横から見て、「我が母ながら、素でこういうこと言える人すごいな」と思った思い出がある。
とはいえ、急にブラックになることもあるのだけど(たぶん他人に配慮のないことは嫌いなのだ)。
そんな母だが、病気で寝込むようになってからも、何かしたいことない?と聞いても、特になく、暇だろうと思って塗り絵などを勧めても、「またやるわ~」という感じで、ただゆっくりと外を眺め、時々猫と話しながら、ただただゆっくりとして過ごしている。
何かをやらねばとか、自分はこうじゃなきゃやだとか、誰誰に会いたいとか、とにかくそういうことが一切ない。ケーキは好きで食べているが、家族が用意するからで、「食べる?」と聞けば、「ほな、よばれよか?」という感じ。ただ食べる時は嬉しそう。
また自分の病気に関しても、もう残された時間が少ないということは、全く認識しておらず、「お父さんとどっちが長生きするかな~」なんて言っている。病院の先生には、「認知面が低下している方がいいかもしれませんね。状況(進行性の病気ということ)がよくわかっていたらきっと怖いと思うから」と言われ、確かにそうも考えられるなと思ってみたり。
もしかしたら、無意識の防衛反応で、状況理解をしないようにしているのかも知れないけれど、でもそのおかげで、今残された毎日を穏やかにのんびり過ごせているのだと思うと、これはとてもいい生き方なんじゃないかと。人それぞれの考え方(いや死に際まで頑張り続ける方がいい生き方だと思う人もいるかも)だけど、もしかしてうちのお母さん、結構すごい人なんじゃないかと、私には思えてきた。
しかしこうやって、母をはたから眺めていると、私は母という人を、あまり理解できていなかったなぁと改めて思うのである。
そんな母でも唯一父にはちょっと厳しい。でも、わがままを言える唯一の人だと考えれば、父親への信頼はあるのかなと。本当に世界で唯一の人なんだから。夫婦ってそういうもんなんだろうか。
この歳になって、改めて親と関わっていると、子どもの頃や離れて暮らしている頃には、見えなかったものも見えたりするもんだぁと思うのだ。
ちなみに、寝たりきの療養生活ということに関して、以前読んだ本で、著者はお医者さまなのだが、これまで頑張って働いてきた人が、最期は寝たきりになって、ゆっくり休むのもいいじゃないかということを書かれていた本があった。その寝たきりを楽しんでもいいという主張に、私はちょっと救われる思いになったのを覚えている。
母を見ていても、寝たきり生活も悲しいもんじゃないよという気もしてくる。父に言うと「そら病気にならん方がええやろう」と。まぁ、世の中のほとんどの人が、健康が良くて、病気はダメという価値観だと思うのだけど、”病気”は良くなくても、”病気になった人”はダメじゃないと私は思う。自分だっていつ病気になるかもしれないから、その時何か気づくことはあったとしても自分を否定したくはないなと思うからだ。
生きている間は、どんな毎日も、大切な毎日だもの。一日でも命を長らえられることに感謝する生き方をしたいと思うのだ。
まぁとにかく、我のない人の療養生活は、のんびりとしている。