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めぐる季節に抱きしめられて苦しい

(私にとっては決してネガティブな話ではないのですが、悲しい話でもあると思うのでそう言うのが嫌な人は読まないでください。)

去年の今頃、生まれて初めて死にたいと思った。
自分でもびっくりした。私がそう思うこともあるんだ、、となんだか冷静にびっくりした。




一年前


母さんがサードラインの薬に切り替えた途端に文字通り日に日に弱っていた頃、それでも母は散歩に行こう。と春を告げる花達を共に見に行った。

真隣に、30年間共に生きてきた、半分私と混ざってるくらいの存在が、肉体が、魂が私の何倍もの速さで生きていた(死んでいった)
それが手にとるようにわかる。


ハナモクレンが満開の花を咲かせて、木の下へ向かって母がこちらを向いて笑う。いつものように、写真を撮る。あ、また身体が縮んでいる。そう思いながら、そのコントラストで空がとびきり青かった。


私はその夜、あまり食べれなくなっていた母に、何が食べたい?と聞き、
「手羽元の酸っぱいやつ」とのことでスーパーに買い物に出た。

もはや夢なのか現実なのかわからない状態でスーパーに行ったら、いつものように、いつもの場所に品物が並んでいて、目的の品を買っていつものように家に帰り、いつものように料理を始めた。

いつものようにご飯ができたことを告げて、食べようとしたその時、
頭の血が引くのを感じた。自分の鼓動も聞こえない気がして、とりあえずトイレに行き落ち着こうとした。息もできなくなってきて、頭の血管がぴくぴくしているのも感じて
「脳みそがおかしくなったかな」
そう思い余計にパニックになった。
自分が今そんな状況で家族に負担を与えるのだけは避けたいと思いつつ、丁度帰ってきた父の車に乗せられ病院へ。
その時母が慌てて毛布を車に持ってきたのが忘れられない。(身体動かすのもしんどかったのにね。)

画面は早送りなのにしっかりとその膨大な情報量が流れ込んで、私はとうとうついていけなくなってしまった。一生懸命にやっていた日常(ごっこに近い)に限界が来てしまった。


私はもう日常を作れなかったのに
母さんはこんな時までずっと私を心配していた。


病院で脳のMRIを撮っても異常がなく、とりあえず過呼吸ですね、安静にしてくださいと1日入院が決まった。過呼吸って、息が荒くならないのになる場合があるんだ、となんだか感心した。
とはいえひとまず家でもアトリエでもない、病院に来れたことにとんでもない安堵があった。

一旦自分の世界から離れられて嬉しかった。
看護師さん達にたくさん話を聞いてもらって落ち着いた。母さんと物理的に距離が遠くなったのも安心した。
けれども心がずっと痛かった。精神も物理的に痛くなる。私はその痛みが辛すぎて死にたくなった。最愛の人との歩む時間に歪みが出ると、こんなに辛くなるなんて知らなかったからびっくりしすぎて苦しかった。


その苦しみによって初めて自分の死が過った。
あの苦しみの改善策って、お互いどちらかの死しかないんだ。接続している故の苦しみ。生きるって素晴らしいはずなのに。

でもそうだよね。今母さんが生きているから苦しいんだ。じゃあやっぱりこの苦しみも喜ぼう。受け入れよう。生きているって、望みだもん。

ぐちゃぐちゃになった感情で落ち着かず、その夜は点滴をしてもらい、嘘でもなんでもなく約2年半ぶりに深い眠りにつけた実感があった。眠ると言う感覚を久々に実感した。


次の日の朝、病院のカーテンから透き通る陽の光が暖かく目が覚めた。


母から大丈夫?と連絡が入る。
あ、なんだかこれって日常だよね 
また涙が自然と溢れた




私はあの日母と見に行ったハナモクレンの木に会いに行った。
あれから一年。たった一年で私の世界は大きく変わった。

沢山の人が、最愛の人を亡くし、亡くした者として寄り添ってくれる

「時が解決してくれるよ。時間は優しい。」

「人は忘れたくなくても忘れてしまうものなのよ。」

どっちもよくわかる。というか、どちらも同時に起こっている。

私母さんの気配や匂いや強さや精神を強く自分の精神とつなげていたくて、この木に会いに来た。


目の前に映るハナモクレンのもとには、ふふって笑ってみせる母がいる。
でも同時にあの日の気持ち悪さが巡ってしまってすぐに家に戻ってきてしまった。そしてその勢いで、この文章を書いている。

私が生きている以上、まだ接続していた。結局経験してみて思うのは


死別は終わりじゃないってことだった。


ハナモクレンが終われば桜

桜が終わればツツジ

ツツジが終わればサルスベリ

サルスベリが終われば金木犀

金木犀が終わればツバキ

…花が好きだった母の記憶は季節中に張り巡らされている。

その都度思い出に抱きしめられながら苦しむんだと思う。


今はあの日々で感じた死にたいと言う気持ちからは解放されたけど代わりに母はもういなくて

やわやわと明るく照らしてくる風景が刺してくるその感性とか、すごく生きている自分を感じるし

何より強く引っ張ってくる「不幸」をひっくり返して幸せに変えていくその生命力に、人各々の幸福論があったとして

そうしたら私は母さんからその幸せにひっくり返していく力、表現の尊厳を最後の最後まで与えて貰って、ほんとに「教育」をし尽くして頂いたと最終的には感謝の気持ちでいっぱいになるのです。

出会えて良かった。あの死にたいくらいの苦しみも、出会わなければ感じずに済んだとしても、やっぱり出会えたことへの奇跡には変えられない。

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めぐる季節にありがとう!




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