突然起きた非日常なこと
はじめまして、愛音(あいね)と申します
以前は電気工事士として、勤務していました。仕事は男社会なので、なかなか厳しいことも多かったけどとても楽しかったです。
そんな私に非日常な事が訪れたのは突然の事でした。朝、目を覚まして2階の部屋から1階へ行くと親が「おはよう」といってくれたので私も返しました。でも、親が変な顔をしたのです。私は寝ぼけてたこともあって、?マークの顔をしてると、母親が「挨拶くらいしなさい。」と。
私は口を動かして話してるのに自分の耳に自分の声が届かないんです。
もちろん、パニックになりました。原因は両親も私自身もわかっていましたが、ちょうど心療内科へ初めて行く日だったのです。保健所に相談して紹介してもらった病院で、とにかく親が病院へ電話し、声が出ないことを伝えて貰いました。
それでも受診可能ということで、病院へいきました。診察室に入り書いてきた紙を渡すとポタポタと涙が止まらなくなりました。
声が出ないなんて生まれて初めての事で、夢だと思いたかった。
でも、医者から告げられたのはPTSDと心因性失声症、抑うつ、不安障害という病名でした。?マークいっぱいでした。
言ってしまえば、心が耐えられなくなってしまった状態で、結構重症だったようです。
頭真っ白で考えたのは仕事のこと。職場に言ったらクビになるかもしれない。
これからどうなるんだろう。突然のこと過ぎて先のことなんて全く分からなくなりました。親は高齢な事、周りにそういう人が居なかったということもあり、理解を得られず職場も休職扱いになりました。
ネットで調べると数日から数ヶ月で治ると言われたのに、1年経っても治らなかった。
非日常な世界に身を置く不安、誰にも理解されない孤独感、今まで出来たことが出来なくなった苛立ち。そんな沢山の気持ちに押し潰されていました。
カウンセリングの先生には自分に優しく、自分を褒めて受け入れてあげましょう。そう言われても今までした事がない私にやり方すらわからなかった。毎回出される課題に私は毎回答えられなかった。その内カウンセリングを止めました。
発症から1年経って保健所から障害者手帳の事を聞きました。言われるまま病院で話し、診断書を貰って保健所へ行きました。
とても優しく一生懸命な保健師さんが、親身になってくれて、手続きしました。
その結果等級は精神福祉障害者手帳2級
凹みました。そして自分に対して否定しました。中学からやっていたボランティア。障害者施設や老人ホーム、児童館等でやっていました。その人の気持ちになって一生懸命やっていたはずなのに、自分が障害者手帳を渡された時、全ての終わりを感じました。そして今までの私は偽善者だったのか。ボランティアして優越感に浸ってたから、自分が障害者になった途端こんな気持ちになったのか。
色んな葛藤がありました。
手帳を貰って公共機関の電車やバスに乗れなくなり、外に出ても障害者と思われるんじゃないかと自分が恥ずかしくなり、引きこもるようになりました。
でも、負けちゃいけない。負けたら待っているのは・・・・・。そう考えて、今出来ることをやってみようと思い、就労移行を知りました。ダメ元で1件目に行ってみましたが、そこは私には合わないようでダメでした。
それでも諦めずに2件目の就労移行へ行きました。最初の印象は良くも悪くも無かった。
だから何度か体験に行ってみました、そしてそこに入ることにしました。理由は就職する為。精神障害でも私の場合、隠して就職は出来ません。声が出ないのでオープンにするしか選択肢がないのです。そこで障害者雇用という道を探すことにしました。
毎日通所して、仲良くしてくれる仲間に出会いました。みんな何かしら障害を持っていて、私が声が出なくても最初は人見知りもあったのですが、パソコンが得意だったこともあり、パソコンを教えたりみんなとプログラムに参加することで色んな人と筆談で話せるようになりました。
そして念願だったサックスを習うことにしました。腹式呼吸は発声にも良いし音楽ヒーリングというのもあるのでリハビリ兼ねて、勇気を出してサックスの先生へ声が出ないことも含めてサックスを習いたいことを伝えると、暖かく受け入れて頂けました!
まだまだ時期尚早かもしれないと思いましたが、そこで今の自分を受け入れてくれる会社を探し始めました。そして出来れば現場仕事。なかなか求人自体がありませんでした。
色んなサイトを見て片っ端からメールでコンタクトを取ってみました。数百通は送ったと思います。その中で返信が来たのが1件ありました。涙が出ました。ハローワークに求人を載せるという事だったので載せたら面接に行くことになりました。
そして2022年12月ハローワークに求人が載ったのですぐに応募したいとハローワークへ行きました。連絡を取っていただき面接日が決まりました。
面接日当日、緊張しながら行くと優しく迎えてくれた社長と奥様と電気工事士の方。とても暖かく受け入れて貰って、ついに内定を貰えました。
今月からクロス職人兼電気工事士として働くこととなりました。
皆さんの中でもいつ誰が同じ状態になってもおかしくない世の中。
諦めていた私に少しだけ光が降り注ぎました。少しの光でいいんです。
もう今の現状維持で頑張ってるんです。
それ以上頑張れって言うのは酷です。
だから敢えて言います!
「頑張らなくていい、無理しないで、他人の目に怯えずに自分のペースでゆっくりで全然良いんです!人に合わせて疲れて悪循環になるくらいなら、マイペースで。今これを見てるだけで頑張ってると思います」
甘え方とか頼り方は私もわかりません。
でも、無理をするのを止めました。
私は私らしくじゃないと疲れてしまうから。
日常なんて簡単に壊れてしまいます。
鬱だから、知的障害だから。それも個性だと考えてみてください。障害があってもなくても私は私です。これからも私らしく発信していければと思います。長々と書いてしまいましたが、日常から突然声を奪われた私の体験談で誰かが1人でも救われればと思って載せてみようとおもいました。