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私が今、走馬灯をみるなら


”本当に覚えておきたい景色はね、
写真もいいけど心でシャッターを押すんだよ。
心で覚えとくんだよ。”


2004年4月、数時間前に小学校の入学式を終えた私に母が言った。
そして、小学校の校庭に広がる満開の桜を
車のフロントガラス越しに見ながら、
「この景色をずっと忘れたくない。」
その一心で、私は初めて心のシャッターを押した。

それから、、、
大村湾に沈んでいく夕日と祖父の思い出…
沖縄で初めて浴びたスポットライト…


もし今、私が走馬灯を見るなら、
真っ先に思い出すのは、
心のシャッターで押したこの情景たちだろう。

今回のnoteでは、
はじめましての気持ちを込めて
そんな走馬灯を振り返ってみたいと思う。

覗き見するような気持ちで読んでいただけるとありがたい。

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①基本情報


・名前: 清水結衣
・年齢:23
・所属:大学4年生
・出身:長崎
・好きなもの: 映画、写真、脚本、いちご
・特技:柔道、たくさん食べること
写真は昨年、オーストラリアに8ヶ月留学した時のもの。グレイトオーシャンロードの海はとっても青かった。

②小学生時代


私は長崎県大村市に生まれ育った。
しかし、両親の転勤で、小学生活の大半を
平戸島という陸続きの島で過ごす事になる。
その中で心のシャッターを押した出来事が
入学式の満開の桜と別にもう一つある。

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・泣きながら熱唱する「さくら」
私は、小学校2年生の時に転校し、島の中央にある全校生徒100名ほどの小さな小学校に通っていた。クラスの人数は16ー18名ほど。転校してしまう同級生はいたものの、5年間ほとんど顔ぶれは変わらなかった。
そして、私は3年生から6年生までバレー部に所属していた。顧問はとても厳しかった。5-6年時の担任でもあった。練習中に怒って帰ったため、裸足で車を追いかけたり、先生の家まで謝りに行ったりすることもあった。
卒業式の日の最後の帰りの会、そんな先生が泣きながら、私たちに贈る歌として森山直太朗の「さくら」を熱唱していた。俳優オーディションに落ちた写真を見せながら熱唱し、夢を持つ重要性について語る姿は少しダサくて
笑ったけど、感慨深かった。
あの、涙でぐちゃぐちゃになったくりーむしちゅー有田似の顔も、5年間を共に過ごしたクラスメイトたちも一生忘れられない。

③中学生時代


今までの学生生活の中で輝かしかったのは多分この中学生の時期だろう。
その中で覚えている景色は2つだ。

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・放課後の簡易柔道場
私は中学に入ると柔道部に所属した。
理由は、たしか「誘われたから」くらいの軽い理由だ。10もいない柔道部員はとっても強いけど、なんとも愉快な人たちで、練習までの間、畳を敷き詰めただけの教室でくだらない話をするのが好きだった。初心者の私は練習で「ボロ雑巾」って呼ばれるくらい引きずり回されたけれど、練習前のその時間のために部活に行こうと思えるくらい、その部が大好きだった。

・沖縄で初めて浴びたスポットライト
そんな中学時代、もう一つ心のシャッターを切ったのが沖縄で行われた中総体の九州大会準決勝でスポットライトを浴びた経験だ。
幼い時から、何事も一生懸命がんばるものの秀でた才能はなかった。そんな私が中学生から始めた柔道で大きな舞台に立つことができた。スポットライトを浴びながら、試合場に一人立つ、なんともいえない高揚と緊張と、すこし硬い畳の感触は一つ一つ鮮明に覚えている。


④高校生時代


高校生時代は私にとって、1番苦い思い出が多い時期である。その分、忘れたくないこの情景には何度も助けられた。

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・大村湾に沈む夕日
これは、私が高校2年生の時の出来事である。高校では柔道による特別推薦によって、中学に引き続き柔道部に所属していた。特推として試合に求められる結果、そこへかかる重圧にプレッシャーを感じていた。
ある試合で負けた帰り道、母が運転する車は落ち込む私を乗せて海沿いを走っていた。水平線に夕日が沈もうとする約10分くらい、車を停めて夕日が沈んでいく様を眺めた。大村湾の水平線が赤く染まり、だんだんと暗くなっていく。その様子をみながら、今の悔しさを受け止めて、明日からまた練習を頑張ろうとスッと思えたことは今でも覚えている。

⑤大学生時代

小学生〜高校生まで長崎生まれ長崎育ちだった私は大学生になり上京をした。高いビルを見上げてしまうthe 田舎者。
だけど、大学では映画制作の部活に入り、留学やビジコンなど多くのことに挑戦することができた。

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・燃える4年分のジャンプと2月の寒中水泳
これは大学1年生の2月のことだ。所属していた映画制作部の先輩2人と同い年の女の子1人でショートフィルムの撮影をした。内容は先輩が大学の4年間でためたジャンプ47冊に着火剤で火をつけ燃やす映像を撮るというもの。
朝5時に川に集まり、なかなか燃えないジャンプにひたすら着火剤で火をつけた。朝焼けの中燃えるジャンプを眺める横顔とそれを真剣に撮る姿を見て、映画制作が心底好きだと思った。その後、海へ移動し2月の寒空の下、海の中でもがく様子を撮るため水着も着ずに寒中水泳をしていた。
側からみると異様な光景だっただろう。馬鹿に映っただろう。一生懸命その1カットにかける眼差し、その気持ちを忘れてはいけない、と心に刻んだ出来事だった。

⑥これから

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もし、私が今走馬灯をみるなら、今回振り返ってきた出来事をきっと思い出すだろう。


このように振り返ってみると、大好きな人たちとの日常の中、ふとした瞬間が多く、私にとって仲間の存在は必要不可欠なんだと改めて気付かされた。

社会に出て、就職をして、これから沢山の出会いをしていくだろう。
その時、一つ一つの縁を大切にして、大事な瞬間を心のシャッターに撮っていきたい。素敵な走馬灯をこれからの人生で作りあげて行きたいと思う。

ここまで読んでくださりありがとうございます!

それでは☺️

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