生前は流行画家だった洋画家・浮田克躬
かつて、浮田克躬(1930〜1989)という洋画家がいました。主に日展と一水会を拠点に活動し、生前は流行画家で、昭和会展昭和会賞を受賞した関係もあって今でも日動画廊本店(東京・銀座)には良く絵が飾られていますし、『開運!なんでも鑑定団』(テレビ東京)では割と高い査定額が付きます。
『東文研アーカイブデータベース』には以下の経歴が記載されています。
ここに書かれていない経歴としては1988年に日展内閣総理大臣賞を受賞したことと1987年に『浮田克躬画集』(求龍堂)を出版したことでしょう。また、 田中穣『一水会五十年史』(中央公論美術出版、1988年)によると一水会内では最高位の運営委員(当時3名)に次ぐ常任委員(当時31名)の地位にいたことが分かります。
主な受賞歴として昭和会展昭和会賞(1968年)、日展会員賞(1981年)、宮本三郎記念賞(1986年)、日展内閣総理大臣賞(1988年)などがあり、日展洋画部門では数少ない美術市場で売れる画家だったことが分かります。実際、絵の水準も日展洋画部門にしては高いです。一応、作品画像を数点挙げましたが、グーグル検索しても良い作品がなかなか見つかりませんので出来れば図書館で『浮田克躬画集』(求龍堂、1987年)を閲覧して下さい。
浮田克躬は画家としてはこれからという1989年に59歳の若さで亡くなったのですが、その前年に日展内閣総理大臣賞を受賞していることを考えると、長生きしていれば日本芸術院賞を受賞し、日本芸術院会員の座に就いていた可能性が高いです。
一水会の日本近代美術史及び洋画壇における役割についてはここでは書ききれませんので「コトバンク」の項目と一水会の公式サイト内の以下のページをご参照下さい。何人もの文化勲章受章者、文化功労者、日本芸術院会員を輩出しています。なお、グーグル検索しても同名の新右翼団体が数多く出てくるので推奨できませんし、ウィキペディアの項目はいい加減です。
ただ、1989年に浮田克躬、1992年に小松崎邦雄という人気画家が相次いで亡くなり、同年には会の総帥であった高田誠(日本芸術院会員、文化功労者に選ばれ、日展理事長を歴任)が死去し、それ以降は芸術院会員を輩出できなくなり、日展系会派としては斜陽化するのですが、もし浮田克躬が長生きして芸術院会員に就いていれば一水会は1990年代以降も日展洋画部門における名門団体として存続したのではないかと思われます。
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