見出し画像

フジテレビ開局当初からの社員で日枝久氏の腹心である監査役・尾上規喜氏

【但し書き】この記事は「フジテレビ開局当初からの社員である監査役・尾上規喜氏」(2023年4月22日投稿)に加筆修正したものです。

『デイリー新潮』に「フジテレビ早期退職 “50歳で特別加算金は1億円”の厚遇でも社員は納得しない理由」(2022年1月5日)という記事が掲載されています。

これはフジテレビ及び持株会社のフジ・メディア・ホールディングスの日枝・宮内体制(当時)について言及した記事なのですが、一部引用致します。

かつてフジが勢いを失った頃、日枝久元会長(83)が“老害”と報じられたのは有名だが、すでに会長は辞したはずだ。

「17年に『不振の責任はすべて僕にある』と会長の座を譲った日枝さんですが、今も取締役相談役として隠然たる力を持っています。彼は大ヒットした『踊る大捜査線』などを仕掛けた亀山千広プロデューサー(現・BSフジ社長=65)を社長に抜擢し、再起を図ったのですが失敗。責任を取って亀山社長と共に辞任しました。しかし、亀山さんの後継に指名したのは宮内正喜氏(77)。彼は日枝さんが社長時代に秘書を務めた側近でした」

宮内氏は社長就任にあたり、視聴率の向上よりも「社の雰囲気を良くすることが先」と言っていた。

「社内の雰囲気はいまだに良くありません。テレビには未来がないという空気が漂っています」

現在、宮内氏はフジテレビとFMH(筆者注:フジ・メディア・ホールディングス)の会長だ。

「日枝・宮内体制は今も続いているわけです。さらに、日枝さんは1959年の開局から3年目の61年入社ですが、役員の中には開局前に入社した古参まで残っているんです。監査役(常勤監査等委員)の尾上規喜氏などは1935年生まれの86歳で、開局前年の入社です」

日枝氏よりも年上が残っているとは……。

この記事が書かれたのは港浩一氏がフジテレビの社長に就任する少し前ですが、気になったのは「役員の中には開局前に入社した古参まで残っているんです。監査役(常勤監査等委員)の尾上規喜氏などは1935年生まれの86歳で、開局前年の入社です」という記述です。まさかフジテレビ開局時からの社員が役員にいるとは思いませんでした。そこで、尾上規喜氏という人物が気になり、グーグル検索や国立国会図書館デジタルコレクションで調べました。

尾上規喜氏(おのえ・きよし)は1935年3月16日生まれで現在89歳です。フジ・メディア・ホールディングスでは取締役(常勤監査等委員)を務め、フジテレビでは監査役を務めています。日大芸術学部写真学科出身(注1)でフジテレビには1958年12月に入社し、主に技術畑、人事畑を歩み、1999年6月には代表取締役副社長にまで上り詰めますが、社長にはなれずに取締役相談役、取締役副会長を経て常勤監査役となり現在に至っています。

Ullet(ユーレット)という上場企業のデータベースサイトの「フジ・メディア・ホールディングス」の項目に尾上規喜氏の詳細な経歴が書かれていましたので引用致します。

「東京丹後人会」という京都府丹後地方出身者の団体があり、そこの顧問(前会長)を尾上規喜氏が務めています。公式サイトを見ると尾上規喜氏が宮津市出身であることが分かります。

また、尾上規喜氏が平成23年度(2011年度)の「第57回 前島密賞」を受賞していることが分かりました。「前島密賞」(公益財団法人通信文化協会)は公式サイト(現在リンク切れ)によると「逓信事業の創始者「前島密」の功績を記念し、その精神を伝承発展せしめるため、昭和30年(1955年)に設けられ、情報通信及び放送の進歩発展に著しい功績のあった方々に贈呈しています。」とあります。

ただ、この記事の元の記事を書いた2023年4月時点では肝心の尾上規喜氏と日枝久氏との関係について言及しているネット記事は発見できませんでした。

しかし、現在マスコミ及びネットを賑わせている中居・フジテレビ騒動が勃発してから「フジ日枝氏は自ら退任することはない…90歳近い2人が組織を動かすフジテレビの「HOライン」」(『デイリー新潮』2025年01月27日)というネット記事がアップされ、以下の注目すべき記述が載っていました。文責は高堀冬彦氏(放送コラムニスト)です。

 フジの現執行部に指示を与えているのは日枝氏ばかりではない。日枝氏の腹心で、剛腕で知られる尾上規喜・フジMH常勤監査役(89)もそう。尾上氏はフジMHとフジの隅々まで知り尽くしている。
「遠藤氏も金光氏も尾上氏には全く頭が上がらない。ネット時代、動画時代でありながら、フジは90歳近い2人が組織を動かしている。2人はそれぞれの頭文字を取り、HOラインなどと呼ばれている」(フジ関係者)

この記事を読むと尾上規喜氏は日枝久氏の腹心で大変な実力者であることが分かります。

この記事を書かれた高堀冬彦氏に問い合わせをしたところ、尾上規喜氏は古くからの日枝久氏の懐刀とされており、日枝久氏が上級幹部の人事を決め、尾上規喜氏が現場人事を差配するという関係だそうです。尾上規喜氏はフジ・メディア・ホールディングスとフジテレビに情報網を張り巡らしていて、それを利用して日枝久氏は自分に反旗を翻しそうな人物を未然に摘発してきたそうです。

私は急遽、フジサンケイグループに関する超一級の資料である中川一徳『メディアの支配者(上)(下)』(講談社文庫、2009年)のKindle版を購入したのですが(文庫版は現在、価格が非常に高騰している)、それによると、1963年11月のケネディ大統領暗殺事件の時、フジテレビ報道部外信班キャップだった上野一彦の下、外信班員だった日枝久氏や尾上規喜氏らが火事場さながらに社内を走り回ったそうです。この頃からの付き合いなのですね。また、1968年7月に日枝久氏がフジテレビ労働組合の書記長に就いた際、尾上規喜氏は法対部長を務めています(注2)。そして、鹿内春雄がフジテレビの実権を握る1980年代に入ると日枝久氏を始めかつての組合幹部が要職に抜擢されるようになり、尾上規喜氏も人事部長に就きました。また、1992年に日枝久氏がクーデターで鹿内宏明を追放した後、お台場の新社屋の建設委員長となった際、尾上規喜氏(当時、常務取締役)は建設事務局長として実務を預かりました。

『メディアの支配者』の続編である中川一徳『二重らせん 欲望と喧噪のメディア』(講談社、2019年12月)によると、尾上規喜氏は1997年8月のフジテレビ上場(当時、専務取締役)や2003年7月の村上世彰氏によるフジサンケイグループ資本再編成の提案(当時、取締役副会長)にも水面下で交渉、折衝の任務に携わっていることが判ります。

以下のツイッター(X)アカウントの方が尾上規喜氏に対して「フジテレビの秘密警察トップ」と書かれていますが、言い得て妙です。

私は日枝久氏と尾上規喜氏の関係は日本共産党における不破哲三氏(元議長)と浜野忠夫氏(副委員長)の関係に似ていると思います。浜野忠夫氏は1932年生まれで、国会議員歴が無いながらも党官僚として絶大な力を持ち、2000年から現在に至るまで党幹部会副委員長を務め、90歳を過ぎてもなお共産党の人事を差配しているとされる人物です。また、党内の不満分子を摘発する秘密警察的な役割も担っていると言われています。志位和夫氏(議長)ですら浜野忠夫氏には頭が上がらないそうです。

『日本戦略研究フォーラム』の「「長老支配」「上意下達」「閉鎖性」が続く日本共産党」という記事に筆坂秀世氏(共産党元政策委員長)が浜野忠夫氏についてこう書いています。

私が在籍していた当時から、浜野氏は不破氏の“伝令役” であり、側近中の側近であった。不破氏は、志位委員長には殆ど直接には意見を言わず、浜野氏を通して指示を出していた。不破氏の意向は、浜野氏に聞けば分かるほどであった。

高齢で組織内で絶大な力を持っていて秘密警察的な役割を担っているにも拘らず一般的には殆ど知られていない点や「剛腕で知られる」といった記述からも尾上規喜氏と浜野忠夫氏のあり方は良く似ていると思います。

最後に、尾上規喜氏の写真を紹介して記事を締めくくります。前者は『LA international』1994年10月号の「フジサンケイグループ本社の臨海副都心への移転 21世紀に備え新社屋の建設」(pp.40-43)という記事のp.40に載っているもので、後者は星野和彦氏(宮津市議会議員)の公式サイトの「宮津市をPR! ~in東京2021秋2日目~」(2021年11月4日投稿)に載っているものです。

尾上規喜氏(1994年10月当時、フジテレビ常務取締役)
尾上規喜氏(中央、2021年11月当時)

尾上規喜氏はフジ・メディア・ホールディングス及びフジテレビ内で大変な力を持っているにも拘らず一般的には殆ど無名で情報が非常に限られているのでここに書いてあること以外で尾上規喜氏に関する情報をお持ちの方は当アカウントに情報提供をお願い致します。

(注1)『日本写真年報 1960年版』(日本写真協会、1960年)p.327

(注2)後にフジテレビ労働組合委員長となり、『マスコミ市民』1971年5月号に「番組を制作しなくなったフジテレビ」(pp.52-55)という文章を寄稿している。

【最終加筆】2025年2月18日

※記事に関する御意見・情報提供はコメント欄または下記のメールアドレスにお願い致します。
dyi58h74@yahoo.co.jp

いいなと思ったら応援しよう!