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救うとは

ナースなわたしが人生の大部分を占めている。
それは、時にわたしを苦しめます。
ナースなわたしと、あいというわたし。
これらのわたしが混在してしまいそうになるからです。

いつも冷静な判断を求められます。当然のことです。
いまある命を救う。それを考えなければならない。
そう思い悩み苦しんでいました。
そしてある時、わたしの中でひとつの解にたどりつきました。

救うなんて、わたしにはおこがましい。

この本音が、ナースなわたしのコアに備わり考えがかわりました。
わたしを育ててくださる患者さまと向き合うとき、命と向き合うとき、
わたしの持てるすべてを出し尽くしているか、
そこにのみ集中するようにしています。
医療も看護もすべてをうけて、その命をどうするのか。

それは、患者さまがお決めになる。

そう思っています。
命をどうこうできるなんて、おこがましい。
真摯に患者さまと向き合っているか。すべて出し尽くせているのか。
ナースなわたしをみつめます。

冷静に冷静にとおもうけれど
大切なひとを守りたい、救いたい、失いたくない、
そう願われる患者さまのご家族さまのことを考えるとき、
ナースなわたしの強欲に揺さぶられます。
残されて、その現実の中なお生きる、ご家族さまの心を救いたい。
あつかましい思いに覆われます。

心が救われたかどうか
お決めになるのは、やっぱりご家族さまご自身。

それをお決めくださるときに、重要なファクターがあると考えています。
それは、わたしたちがご提供させていただく医療や看護、
それらに対するご家族さまの納得感です。
ご家族さまを置き去りにした、わたしたちの独りよがりでは決してあってはならない。十分な説明と、その理解からなる同意。
これまでの経験から、ご納得感と心の安寧は比例すると感じています。

救うとは
明確な解にわたしというナースがたどり着くことは難しいようにおもう。
ただ、いつも真摯にナースと向き合っていくことで、
救われた、と感じていただけるように努めていくと決めている。

またご訪問くださり、ご一緒いただきありがとうございました。
では、またおめにかかれますように。
感謝をこめて。

あい。




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