巡り巡って訪れるという仕組み
以前の私、常に身の回りのことを把握していたかった。
色々なものを明らかにしていたかった。
事前になんでも準備していたかったし、うまくいくと満足して、うまくいかないと反省会をしていた。
だからこそ、沢山の情報が欲しくて、入手する事に注力していた。
そして、生き方がまるっと変わったある時から全く気にならなくなってしまったのである。
例えば、誰も見ていない所で私がすごく世のためになることをしたとする。
それを見て見てー!とアピールするのではなく、
それはきっと神様は見てくれていて、いつか時間をかけてどこかの誰かを巡り巡って、私に返ってくることもあれば、私の大事な人に返ってくるかもしれない。
こういう考え方になったのです。
徳を積むみたいな感じ。
徳を積みたくてゴミ拾いをする
その下心になんとも言えない気持ちになる。
でも、そんな人間らしさも可愛い。
私もたまに散歩がてらゴミ拾いをする。
子どもも一緒に。
子どもはいつかふと思うであろう。
あれ、母さんよくゴミ拾いしてたよね。と。
子どもが親になった時にまたふと思い出したりして、私と同じようにゴミ拾いをするかもしれない。
別にゴミ拾いをする子供になって欲しいとかじゃないの。
親から勝手に伝わるもの。
それは全て愛なんだけど。
それは我が子が親になってからわかる答え合わせみたいな。時間をかけてようやく気付ける喜びみたい。
そういうのをいつか天国で眺めてクスッと出来たら良いなと思うのです。
見られていないとこにこそ、
自己満足の世界にこそ、
生活を彩ってくれる喜びがあること。
たまに起こる棚ぼた的なラッキーは
全て自分や誰かの行った素敵なことが巡り巡って起こっているのではないかと。
その逆も然り?
だから悪いことはなるべくしないように。
そう教えながら、育児and育自したいなぁと。
日々思うのであった。
知らないことがあってもいい。
いつか答えがわかった時、猛烈に繋がりを感じて嬉しくなる。
ただ今を生きるだけ。
必要なことは勝手に入ってくるようになってるから。
後はおまかせ!
少しだけ、そんな事を意識するかしないかで、人生の面白さは変わるんじゃないかな。
毎日の積み重ねがギフトになる。