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あえて恥ずかしいことを。過去のリアルな日記を公開①当時19歳、個性について悩み考える

2019/5/26の日記

今日ふとと思い出したけど、昔、すごく偏るのが嫌いだったなって
今ではそこまででもないんだよ、今日買い物してて思ったけど
まあ、確かに手にカゴを持ってて商品の一個をはじの方に入れる人の気持ちはわからないけど、でも昔はやけに気になって嫌で嫌で仕方なかった
お母さんにも、何かすごくストレスをためてたんじゃないって言われて、
ああ、そうかもしれんわって思って納得したわ
今は、そこまでストレスをためてないし、ストレスというかそれがたまったとしても、
気づく力を持ってて、発散する方法も身につけて、だから外側に向けてこれはこうじゃなきゃいやなの!!みたいなこだわりは何もなくなったんかもしれん
それは良いことだと思う。ストレスを周囲に当たってしまうのは、周囲にとっても自分にとっても良いこととは言えんからね
私はだいぶストレスに対処する方法がうまくなったんよね
そう思うと何か嬉しいなあ…大人になったなあと思うんよ
私の絵や字もだけど、私の作品には個性がないんだなあって思って
それはずっと思ってたんだけど、今日改めてお母さんに言われてショックとも違うけどなんでなんだろうなあって思ってしまった。
小学生の時に色彩画には精神性があった、確かにそう言われてみればそうかもしれんなあ、
不思議、なんでだろう
でも、たぶん小学生の時は自分の気持ちなり思いなりを向ける矛先がなかったんかもしれんよね
だから知らずのうちにためこんでたストレスが絵画という手段によって爆発してた部分があるのかもしれない
私の繊細な部分が自分を苦しめてて、それでうまく自分の感情の吐き出し口が見つからんくて、たまたま絵にぶつけてたんかなあ
中学生からは絵を描くのが好きで感情の吐き出し口というよりは、ただ単にうまくなりたいなあっていう向上心だったのかもしれない
だから技術は磨かれたんやね
でもやっぱりデッサンに関しても個性が欲しかったなあって思う
私の創り出すものはいつでも中性的なんだよなあ…
パッと絵を見た時に魅了されるような爆発的な個性が私にもあればいいのに
なんて言っても仕方がないか
でもなんでなんだろう 私の個性はいつもどこにあるのかわからない
性格だってそうだよね、怒りっぽかったりでもすごく優しく寛大な部分もあって、
几帳面な部分もあれば、雑すぎるところもあって、面倒くさがりなところもあるけど、やらなきゃ不安でたまらなくて、めちゃくちゃ笑うのにすぐ泣くし、男っぽいところもあれば、女っぽいところもあるし、ポジティブな面もあればネガティブすぎる部分もある
性格の幅が広すぎる
あれ、私の個性ってどこにあるの?
個性的って悪い意味で使われがちだけど、個性が無いの方がよっぽど悪口ではないか?
私は私なのよね、結局行きつく先はね、それ以上何でもないの
個性って見つけようとして見つけられるものでもないはずだし、どんな形であれ、きっと必ず持っているはずで、私はこの幅の広さが最大の売りなのかもしれないよなー
だから、あんまり考えすぎずに考えていきたい
どうせ、みんな自分の個性なんてわかるものじゃないんだよ
自分をはじめに知っておく必要はなくて、自分をまず好きでいられればいいと思う。
私はこの忙しい性格がたまにすごく嫌いになるけど、でもすごく好きになったの
自分がすごく好きだって思えている それが私の個性の一部でもあるはず
自分はたまにすごく嫌になることは認めるけど、そうやったって仕方がないからね
自分を自分として受け入れられてた時、やっと私は大人になれた気がしたんだ
すごく嬉しい ねえ、私、あんまり頭で考えすぎるなよ
頭で考えすぎて、でも考えられる範囲なんで限られてるし、頭で考えて判断できることって常識での中でしかないから、でも常識の中で考えたことはほぼつまらないことだったりするわけで、やっぱり心で心のままでいるのが結局はすごく大事なんだ
人生ワクワクしたものにしたいだろう、だったら頭で考えるなよ、心のままでいな
心を、自分の気持ちを誰よりも何よりも大切にしてみてほしい
失敗は失敗でも、常識からはみ出したことを恐れてはいけんと思う
やりたいこと、思いっきりやってみようよ
自分のこと好きなままに人生楽しもうね

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