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2025年26歳のわたし

新年のご挨拶

こんばんわ。少し遅めのあけましておめでとう御座います。
昨年の振り返りと今年の目標を立ててみたら、ずっとそばにあった感情に気付き。それを今日は紡いでみたいと思います。


今、わたしはきっとどこかで気づかないうちに分岐点を通り、自分の感情に蓋をして、日々に浅く「うん、うん」と頷きながら、わたしをわたしたらしめてくれる、わたしを「あなた以外の何者でもない」とその瞳に映してくれる方々に囲まれて生きています。

どんなにもがいたって

どんなにもがいたって、決して、わたしはわたし以外になることができない。どんなに考えたって、どんなにもがいたって、どんなに道しるべを探したって、そんなものどこにもありはしない。

わたしはわたしでしかなく、わたしの外にはわたし以外しかいない。


「今この世界には」とかいう視点で語るとあまりに大きく聞こえるけど、事実、わたしたちを取り巻く生活の中には、あまりにもやたら指標があって、ものさしがあって、形容詞があって。

でも、違った。違う。どこにも何も求めなくていい。何も探さなくてよかったの。わたしの中で生まれること、あなたの中で生まれること

全てそれぞれの形があるもので、わたしたちはそれぞれがそれを深く知り続け、世界に放ち続ける。この社会は限りある時間をあまりに有効に使おうとしすぎて、そんな1つ1つの小さな違いや、いびつさを知ることを後回しにしてしまう。もっと拙さを愛おしいと思いたい。思い合いたい。

そんなあなただけが、わたしだけが持つものが、どんなに大切なものなのか知らないまま。

あなたはどなたでしょう?
あなたはどなたなのでしょう?

この幾重にも重なる「わたし」と「あなた」という世界の中で、わたしはどんな風に、あなた(たち)と生きていけるのだろうと常日頃、思いを馳せるのです。

どうか拒まないでほしい。
目を見て語らいたいと願っている。

社会がそれを拒んできても。
立場が視界をぼやけさせても。
欲望がそれを阻止してきても。

どんな悩みがあり、どんな愛情を持っていて、どんな絶望があるのだろう。
どんな風に何を望み、何を語りたいのだろうか。

「あらためまして、はじめまして。」

わたしはこんな形をして、こんな口調で、こんな風に幸せを感じ、こんな風に生きたいと願っています。

これを読んでくれたあなたが耳を傾けてくれるのなら、あなたがこっそりとわたしに耳打ちをしてくれるのなら、とてもとても、嬉しく思います。

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