組織開発パートナーへの道 4
習熟ということ
先日、ある企業の事例が胸に残りました。
ベテラン社員が同じ課の若手の社員と上手くいかず、結果として若手社員が辞職することになってしまったのです。
ベテラン社員は担当業務に精通しており、そのノウハウの共有を目指しての配属でしたが、その過程で若手社員の習得スピードなどに不満があったのか、人格を傷つけるような言動があったようです。
若手社員の気持ちが辞職まで固まってしまうまで問題が公にされなかったことも残念な結果に繋がってしまいました。
辞職まで至らずとも、どんなチームや組織でもみられる事例ではないでしょうか。
どうしたらこのような事態にならずに済むのか。
ロングスパンで考えてみたいです。
まず、ベテランということ。
担当業務に精通していると、他の人のやり方がもどかしく思いがちです。会社員時代の私もそうでした。どこに間違い易いポイントがあるのか、習熟の過程をリアルに振返れなくなっていることも原因かもしれません。
又、教える手順もさることながら、自分が頑張ってこの業務を回しているのだ、という自負があると「私と同程度にやれるならやってみて!」というような気持ちが芽生えていないでしょうか。。
もちろん、現担当者の工夫によって改善された業務プロセスもあったでしょう。でも、その成功はもう終わったこと。今は状況も変化があるはずです。
「これが正しいのだ」という感情はすこし脇に置き、まったく新しい業務に取り組む気持ちで眺めてみると、どうでしょうか。新鮮な目線で眺められる又とないチャンスです。新たな気づきが生まれそうです。
そして、若手社員のこと。
「周りに迷惑をかけてはいけない」「自分が未熟なのがいけないのだ」と思って声をだせなかったそうです。
ここでは「声をだせ」という前に「声が出せる」周囲の空気があることが大事になります。「助けを呼んでいいんだよ」という有形・無形のメッセージがあったなら、どうでしょうか。
現在はキャリア採用・中途採用が増え、同期入社同志というような横の関係が希薄になっています。縦のつながりだけでなく、もし横にも苦境を伝える繋がりがあったら、他の解決方法があったかもしれません。
私も若いころ「助けて」と言えませんでした。
「ひとりでやり遂げなければ」と思い込んでいたのですね。
「やり遂げなければいけない」けれど、決して「ひとりきりで」やらなければいけない訳じゃない。
助けを乞うことは、出来ていないということじゃない。
どちらの立場でも一旦こじれてしまうと当事者だけでは解決できない地点を超えてしまいがちです。
当事者二人きりでなく、チームで対策がとられたら事象が客観的に眺められ、業務の遂行状況と感情のもつれを区別して対応できたかもしれません。
また、当事者同士が先鋭的になっていると周りはどのように介入していいか、迷うこともあるでしょう。けれど、業務の引継案件ですから自分たちチームの共通の課題です。
メンバーそれぞれがこの事象は自分たちのものだ、と「チームの課題」として「自分ごと」として捉えられたらと考えます。
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