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俺が考えた最強のハミシスのお話。

先日片付けをしていたら、2018年6月に描いたハミシス漫画(4P)のラフが出てきたので、なんとなく8Pに描き直してみました。ラフの域を出ませんし、後半ジェットコースターのように話が展開しますが、予告編風ということで許してください。2018年…5年前か…。

あとがきが3000文字くらいあるので間違って読み始めると、「終わらない果て」に怯える、天動説時代の船乗りのような、不安な気持ちになります。

ハミダシステムの演劇性

2018年4月に、初めてハミダシステム(以下「ハミシス」)を見た衝撃は、計り知れない。
暗闇の静寂の中で、黒い衣装でダンスをする4人の演者は、まるで舞台の芝居を見ているようであった。暗号のような言葉と記号の掛け合い、そこに見え隠れする、演者自身とのオーバーラップ。
完全にアイドルをいう枠の外にあるように感じた。他に例えるもののない、独自性のある一つのアートであった。

それにしても、内省、自己葛藤。とその吐露。
なんなの?この痛みを伴う大学演劇感…。
後に、運営の神宮寺さん(以下Jさん)が演劇出身とのことで、ものすごく腑に落ちたことを覚えている。

そして、ちょうど、私が彼らを見始めたタイミングでスタートしたハミシスの「物語プロジェクト」は、本人たちをモチーフにした4人の少女と、彼女たちの通う高校を舞台にした物語を展開して、曲、MV、小説を展開するという(しかも、そのラストが実際のワンマンライブという)非常に「メタ」的な試みで、これは、ハミダシステムという装置を使ったファンを巻き込み、業界に一石を投じる、アイドルの枠を超えた一つの実験だなすごく新鮮な気持ちで見ていたことを覚えている。

その上で、その先を見てみたいと思ったのだ。

ところで「HAMIDASYSTEM」というアイドルのモチーフ自体が「今の自分からはみ出すために、新しいシステムを作ろう」なのであるが、それを突き詰めると、その行き着く先は「システムからの脱却」になるのではないか
メンバーは皆深く思考するので、いつかそこに辿り着くのではないか?

むしろ、「物語プロジェクト」は、等身大ではあるが、彼女たちをモチーフにした似た誰かの話である。もっと内省的に「ハミダシステムという物語」を突き詰めていくならそれは「ハミダシステム」というシステム(運営)自体と「演者」との関係性の中で生まれてくるのではないか?とか想像を始めると、もっと、余計なものを削ぎ落として、ライブと同じ真っ暗な舞台で、ハミシス自体に対して内省するメンバーで戯曲を作ってくれたら、より、深いものを観れるのではないか?と想像したのが、今回のベースとなる短いプロットである。
それを思いついたのが、ハミシスを見始めてから2ヶ月後、プラネタリウムライブに感動した直後、当時は解散も、第二期も想像もしていなかったので、ハミシスがメジャーになったら(確信)ファンアートで作ろうくらいにしか思っていなかったし、第一期が、あんな終わり方された頃は、すっかり心の片隅に追いやられていた。

内省と演劇性

例えば、グループが成功(成長)していった時、それは演者の力量か、運営の運び方か、というのは、その両方でしかないのだが、それがどの割合でどこまでコントロールされているかというのは、絶対可視化できないわけで、
「自分という枠」からの脱却 VS それすらも「予定されている」というのは、家庭でも学校でも、部活でも社会でも人生でも、常に付きまとうテーマであって。演劇のモチーフでもよく使われている。
(ハミシスにおいては、メンバーは「絶対自分の実力って言いきれない」弱さがあるし、運営のJさんは「全部俺の力」って言いそうだし…)

内省とグループが結びついている、ハミシスなら、地でそれができるのになぁと、Jさんそういうの、絶対好きそうなのに…と個人的には思っていた。(Jさんは絶対自分を出したくないだろうけど、)

Jさんのこと

それまで、いろんなバンドやアーティストの運営をみてたけど、神宮寺さんのことは、なんて融通のきかない運営。って何度も思わされた印象しかない。むしろ運営に向いてない。(もちろん、もっと話にならない運営もいるけど)
あんなにアイディア出したり主張したりするのが好きなのに、自分自身を表に出すのにどこか抵抗があって。想定外のことに融通がきかない。

「ハミシス(第一期)を解散させやがって」という恨みもあるけれど、

でも、彼がいたから、あのメンバーであのアイドルが生まれたこと、あの名曲たちやさまざまなプロジェクトが生まれたことには感謝しかない。

そして、面白いことをやるために労を惜しまない。その根っからのクリエイター(面白いが一番)気質の部分を尊敬しています。
何より途中でメンバーの適性を見て路線変更したのは、天才でしかないし、ハミシスがクロノスに移り、あそこまで育ったベースはやはり、Jさんのものを見る目が正しかったのだと思う。

ちなみに、漫画内の「システムが選んだ最適解」の背景の、文字列は
Jさんがハミシス時代に企画したことのまとめをnoteから引用しています。感謝。

この漫画のこと

これは自分の見てみたい、ハミシス演劇のシナリオ(戯曲)のダイジェクトで、背景も闇で、メンバーとJさんの会話の掛け合いだけで、どこまでも、自分たちの存在とアイデンティティを深掘りして行って、それぞれのメンバーの持ち歌で心情を表現したり、歌うことで、自らを鼓舞して、壁を乗り越えていく…なんというか「ハミダシミュージカル」…通称「ハミミュ」みたいなイメージで。(「どうして、どうして立ち止まる」みたいな←それはだめ。違う

「例えば、自分たちがいるシステムの中で、自分たちに自信が持てず、それを、自分たちが普段システムの中で歌ってきた、言葉の力を使って乗り越えていくとした時、それは、システムを超えていると言えるのだろうか?みたいな。」

勘のいい飴葉さんが気づく「違和感」も「自分が心の底から友情を感じることができるのか?」みたいな部分からだったり、「何番目のハミシス」ではなくて「何回繰り返してる」かもしれないし、掛け合いの中で、何度もどんでん返しが起こって、自分のアイデンティティを自分たらしめているものは何か…世界とは、みたいな部分まで突き詰めてゆく感じ。その上でシステムを乗り越えられるのか?みたいな。ああ、もうめっちゃ地下劇場

ちなみに、「見ている世界の全てが操られている」のはlain(serial experiments lain)のオマージュ。「自分たちのアイデンティティへの疑問」は演劇で、何度となく見てきたテーマ。

(いつか…Jさんに脚本書いてもらって、主役を池田エライザさんと大杉漣さんあたりで、舞台をプラネタリウムとかでやってほしい。。←壮大)

ハミシスという哲学

以前も書いたけど、「ソフィーの世界」という世界で最も有名な子供向けの哲学史の教本があって、その最初の問いは「あなたはだれ?」から始まっている。(その言葉自体が、哲学の原点と言っても過言ではない。)

物語プロジェクト総決算のミニアルバム「歪んだ鉛筆は誰かに折られないために」において、帯に一文「自分でいよう」と書かれている。
楽曲「行方」の最後のセリフ。
「自分は自分」でなく「自分でいよう」の能動性こそが、「自分を自分たらしめる」一つの視点であり非常に哲学的なだと思っていて、「あなたはだれ?」に対する一つの答えだと思っている。


ハミシスのコンセプトも、楽曲も、自己を見つめる曲が多かった。
内省的で、ネガティブではあったが、決して、あきらめてはいなかった。

ハミシスのオタクが「本質」を語りたくなるのも当然なんだよ。
だって、ハミシスは「アイドル」であり「戯曲」であり「哲学」なんだから。

物語のおしまいに

2018年にざっくりラフをノートに描いた時、飴葉さんを「全体を見通せるけど、運命に抗うこともできない女の子」として、描いたけど(だから当時描いた飴葉さんは一言も喋らない。)、クロノスを経て、今のAMEBAさんを見てしると、もう、そんな静かで受け身な女の子は描けないわけで、現実を受け入れてズンズンそれを乗り越えていく女の子像になってしまうわけで。そんなわけで当時とは全然違う物語になってしまった。今回、ずっと自分の中にあった、「厨二の私が想像する最強のハミダシステム」を供養できてよかった。

リアルの彼女たちは、クロノスを経て、本当にみんな、強くなったなと。これからも、どこまでも何度でも、自分の目指す未来を切り開いて行くのだろうなと。確信を持って、応援できるのでした。

おしまい。

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