そんな母さん〜エピソード0 トラウマってやつ〜
『そんな母さん』と題して、母と私の回顧録シリーズをはじめるきっかけを綴ったものが、以下の記事です。
当時の母は、独りで抱えていたものが、抱えきれずに溢れてしまっていたのだと思います。
何を抱えていたのかは、分からないけれど、溢れてしまった感情の矛先が、私でした。
あの頃の辛い記憶たちを、これから少しずつ、笑い話に変えていけたらと思っているけれど、やっぱりどうしても、そうはいかないもの、いわゆるトラウマとして心にこびり付いた古傷があります。
今回は、その話を「エピソード0」として残しておくことにしました。
大人になった今の今まで抱え続けてきた心の古傷。傷の深さは、人と比べられるものではないし、痛みはその人にしか分からないものだけれど。私にとっては、この出来事がなければ、人格、人生、変わっていたかもしれないなと思う事故のようなものでした。
結果的に、今は今でいいんですけどね、今を生きる自分を否定したくはないし、自分なりに、なんとかここまで歩いて来れたし。
前置きが長くなりましたが、ここからが、エピソード0の記録です。
そんな母さん〜エピソード0〜
母はよく、そして突然に、私の名前を強く叫ぶ。
なぜ私が怒鳴られているのか、毎回これといった心当たりはない。ただ、母がイライラしていて、八つ当たりの相手がどうやら私らしいということを、子どもながらに察していた。
近づいてくる母の足音。
「ああ、まただ…」私は咄嗟に、机にノートと鉛筆を広げて、勉強しているふりをする。少しでも、母のイライラが収まるように、とりあえず良い子でいるふりをするのだ。そこへ、何かをブツブツぼやきながら母がやって来る。
「宿題はやったの?!」
「うん、今やってる」
「…全部できるの?!」
「えっと…この時計の問題が分からない…」
不器用な私は、良い子のふりはできても、嘘をつくのが下手すぎる。「全部できるよ!」と笑顔でひと言返しておけばいいのに、馬鹿正直に、自信なさげに、できないことを白状してしまう。
「ああ、また始まるぞ…」地雷を踏んでしまった私は、そう悟りながら、無意識のうちに、親指の皮をむしり始めていた。
その様子に、母はさらにイライラを募らせながら、私を追い詰める。
「この問題のどこが分からないの?!」
「……」
「分からないんでしょ?!」
「…もういい。自分でやる」
私がそう呟くと、母は大きなため息をつきながら、さらに語気を強める。
「分からないままでいいと思ってるの?!」
「…いやだ」
「じゃあ、どうして分からないのか考えなさい!!」
私は何も言えなくなり、黙りこんだままノートに視線を落とした。ほんのちょっとでも、一瞬でも、優しく教えてくれる母を想像して期待した自分が悔しくて、次第にノートの文字が涙で歪みはじめた。
「泣くな!!」
怒鳴り声と同時に、頭にバシッ!と鈍い痛みと衝撃が走る。
私は、堪えきれずに声をあげて泣いた。
「うるさい!泣くな!!」
そこから後のことは、よく覚えていない。
きっと、脳みそが一生懸命消したんだと思う。
でも、全部は消しきれなかった。
ここまでのシーンが、何日、何年経っても、大人になっても蘇る。
人前でうまく笑えなくなったのは、たぶんこの頃からだと思う。
子どもの頃の写真は、どれも目に力がなく、暗い表情ばかりだ。
「泣くな」だけでなくて「笑うな」も母からよく言われる言葉だった。どうして?理由なんて分からない。そんな母に、何度かは反抗したかもしれないけれど、そのうち無駄な抵抗だと諦めるしかなかったし、周りに相談できそうな大人もいなかった。
それでも、母に振り向いてほしかった。
良い子にしていることしか、私にはできなかった。
何をしても否定されるけれど、頑張っていい子にしていれば、いつか母に褒めてもらえるかもしれない。頑張ったね、偉いね、そう言って抱きしめてもらえるかもしれない。頭を叩かれるのではなく、よしよしと撫でてもらえるかもしれない。
…かもしれない。…かもしれない。
母の顔色を気にすることなく、ありのままの自分を受け入れてもらえていたら、私はどんな大人になっていたのだろう。
そんなことを考えたって、仕方ないけれど。
現在、母になった私は、生後半年の子育て真っ最中。無意識に、母の面影が私を追い詰める。
誰にも見られないし、評価なんてされないのに、朝から段取り通りの家事をこなさなければ気が済まない。
あれもこれも、このあとに、ああしてこうして。次はこう。ちゃんとして、できること全部やって。
ほら、段取り通りにできた。すごいでしょ。私ぜんぶできるんだから。ね…。
できることが、当たり前。
褒めてくれる人なんて、いない。
やってもやらなくても、誰にも気づいてもらえない。ただ、自分が疲れるだけなのに。
「いいよ、できなくても大丈夫。今は、子どもたち(犬と赤ちゃん)が元気に生きていれば、それでいいんだから」そう自分に言い聞かせる。
それでも、「ちゃんとして!」「できるでしょ!」「今やらないとダメ!」「ダメ!ダメ!ダメ!」それは、もはや母の声ではない、もう一人の自分自身の声が、次第に大きくなっていく。
私ともう一人の私に挟まれて、自分で自分を追い詰めて、ついに私は大きな声を出して発狂してしまったことがあった。
あー!とも、ぎゃー!とも、とにかくそんな感じで私は叫んだ。
そして、次の瞬間、ハッとして我が子を見ると、泣いてはいないけれど、驚いたように目を丸くしている。そして、へたり込んだ私の足元には、そっと背中を寄せる愛犬の姿が。
何てことをしてしまったんだろう。
申し訳なくて、情けなくて、涙と鼻水と嗚咽が止まらなかった。
母のようになりたくない、そう思いながら、母と同じような状態に陥る自分を責めた。
子どもたちは、そんな私の側にいてくれる。
こんな私を求めてくれる。
この子たちのために、私は強くならないといけない。強くなりたい。私は、母とは違う人間だ。私は、私なりの母になればいいのだ。この子たちへの愛情を第一に、そして自分への愛情も忘れずに。
「ここに相談に来ている時点で、あなたとお母さんは違うよ」「あなたは十分頑張っているし、この子もしっかり育っているから大丈夫」そう言ってくれた、かかりつけ医の先生たちの言葉を思い出しながら、安定剤を飲んで、顔を洗って、息を吐いて、そしてやっと、子どもたちを抱きしめた。
大丈夫。少しずつで大丈夫。
過去のエピソードが消えることはなくても、それは終わった話だから。
少しずつ、新しいエピソードを、この子たちと共に作っていこう。