もしAIデヴィット・リンチが桃太郎を書いたなら
村は、霧の中に沈んでいた。空は乳白色で、何もかもがぼやけて見える。人々の顔には、奇妙な緊張が走っていた。笑う者はいない。言葉を交わす者もいない。ただ、不吉な鐘の音だけが、時折、遠くから聞こえてくる。それはいつから続いているのか、誰も覚えていなかった。
この村では、何かが失われていた。何か大事なもの。しかし、それが何かを知る者はいない。覚えているのは、みんなの胸の奥にひっそりと居座る、漠然とした不安だけだ。
ある日、川から桃が流れてきた。それは奇妙に大きく、奇妙に完璧だった。水面を滑るたび、まるで光そのものが桃の中に吸い込まれていくようだった。老婆がその桃を拾い上げたとき、彼女は冷たい笑みを浮かべた。その笑みには、期待と恐怖が入り混じっていた。
桃を割ると、中には男の赤ん坊が眠っていた。その顔は不気味なほど静かで、どこかしら人形じみていた。老婆はその子を「桃太郎」と名付け、村人たちに見せびらかした。村人たちは口を開かないまま、じっと桃太郎を見つめた。その目には、まるで答えを求めるような切迫感があった。
桃太郎は成長するにつれ、異様な存在感を放つようになった。彼の歩く後ろには、奇妙な影が漂い、足元の草はまるで何かを恐れるようにしおれていった。それでも、彼は愛された。村人たちは彼に「きびだんご」を作り与えた。それは村の伝統の菓子で、柔らかく、ほのかに甘く、どこか懐かしい味がした。
桃太郎がきびだんごを口にすると、村全体がざわついた。彼がそれを食べる様子は、なぜか目を離せないほど美しく、同時に異常だった。彼は一口食べるたびに不気味な笑みを浮かべ、「甘いね」とだけつぶやいた。その声は、村中に響き渡るほど大きく聞こえた。
ある夜、桃太郎は犬、猿、そして雉を伴い、村を出ると言った。彼らは鬼ヶ島へ行くと言い残し、霧の中に消えていった。鬼ヶ島。それは村のタブーだった。誰もその名を口にしない。何がそこにあるのか、なぜ行ってはいけないのか、それすらも分からない。ただ、村の深い闇がそこに眠っているという噂だけが、子どもたちの間でささやかれていた。
旅の途中、桃太郎はきびだんごを仲間たちに分け与えた。犬はそれを食べると、急に人間のように喋り始めた。「これ、甘すぎないか?」猿はきびだんごを食べながら涙を流し、「思い出すよ」とつぶやいた。雉は一口だけ食べ、「俺には無理だ」と空に飛び去った。
鬼ヶ島に着いたとき、島は静かだった。静かすぎて、耳が痛いほどだった。鬼たちは村人たちが語るような恐ろしい姿ではなく、どこか哀れで、疲れ切った顔をしていた。桃太郎はきびだんごを差し出し、「これを食べろ」とだけ言った。
鬼たちは黙ってきびだんごを食べた。そして、ただ泣いた。声を上げることもなく、ただ涙を流した。その涙は、桃太郎の足元の土に吸い込まれ、黒い草が生えた。
村に帰った桃太郎は、何も語らなかった。ただ、村の霧は少しだけ薄くなった。人々はそれに気づき、静かに息をついた。
川辺では、新しい桃がまた流れていた。それを見つめる老婆の目には、微かな希望と、解けない謎が宿っていた。村は、相変わらず不気味なままだったが、どこかに温かみも生まれていた。
きびだんごの甘さは、その夜も空気を支配していた。