「おじいちゃん、この花なぁに?」と聞いてみたかった
コロナの影響で、児童館や支援センターは全て閉館してしまった。スーパーでの買い物も仕事帰りの夫にお願いしているので、3歳の娘と私は1日のほとんどを家で過ごしている。
しかしながらずっと家にいると体力と免疫が落ちるので、晴れた日には少しだけ散歩するようにしている。もちろんソーシャルディスタンスを守りながら。
娘は散歩に行くと、必ず何か拾う。手の平におさまるサイズの枝や深緑色の葉っぱ、ツルツルした小石など、彼女なりに「かわいい」「好き」と感じたものを持ち帰りたくなるらしい。
ある日娘は、地面に落ちてしまった桜とツツジをポケットに仕舞い込んでいた。小さなポケットに詰め込むのはあまりにも窮屈そうだったので、リュックに忍ばせていたジップケースを手渡してみた。
「お花がつぶれたら悲しいから、これに入れるといいよ。」
そう伝えると、新しい道具を手に入れた娘は誇らしげな表情をして、
「おうちに帰ったらミニーちゃんに見せるの!」
と飛び跳ねた。どうやら留守番しているぬいぐるみやお人形たちに見せたいらしい。
娘はポケットに入っていた花を外に出し、大事そうにケースにしまった。
──
夜になって娘が寝静まったあと、大切に保管した花を探すのだけど、どうも見つからない。時間がたったらシナシナになってしまうから、押し花にしてあげようと思っていたのに!
最初はあきらめきれず、娘が仕舞いそうな箱や引出しを開いては確認してみたけど、やっぱり見つからなかった。きっと明日には萎れてしまう。桜の淡いピンクが色褪せてしまう。そう思うと切なくなった。娘のがっかりした顔を容易に想像できた。
私自身も娘との思い出として残しておきたかったから、とんでもなくがっかりした。
──
夜が明けて朝日が差し込む部屋で、私は花を見つけた。昨日は1度も確認しなかった場所。昨年の秋に亡くなった、祖父の写真に添えられていたのだ。
驚くと同時に目頭が熱くなった。宝物のように持ち帰った花を、祖父にも見せてあげたかったのだろうか。娘の母として、祖父の孫として、こんなにうれしいことはない。
そう感じると共に、なんとも情けない気持ちになった。なぜなら私は、娘がこの場所に置くなんて想像できなかったのだ。宝箱代わりのカンカンとか、そういう類のものしか思い浮かばなかった。
“散歩中に拾った淡いピンクの花”
娘がそれを通して思い描いた世界は、私の想像したものとは全く違う場所にあるのかもしれない。そう思うと、胸がじわりと熱くなる。
祖父は曽孫である娘をとても可愛がっていた。会うときには娘の喜びそうな絵本を2、3冊用意してくれて、娘の顔を見るなり目を細めて笑うのだ。その表情はかつて子どもだった私に向けられたものと全く同じで、いつも懐かしい気持ちにさせてくれた。
娘の方も、そんな祖父の愛をたっぷりと受け取っていたので、祖父が亡くなったときにはとても悲しんだ。「大好きな曾おじいちゃんがお星様になった。」という事実を受け入れるのには、それなりの時間が必要だったのだ。
そんな祖父は昔から花が好きだった。一緒に散歩すると、道端に咲く花の名前を教えてくれた。私は散歩中に花を探す癖があるのだけど、その度に祖父を思い出している。そして名前の知らない花を見つけるたびに思うのだ。
「おじいちゃんだったら、知ってるだろうな。」
娘が歩けるようになった頃から、密かに願っていたことがある。祖父と娘と私の3人で散歩してみたいと。結局それは実現できないまま、祖父は逝ってしまった。
もちろん頭ではその事実を受け入れているけど、今でも時々思ってしまう。
もう一度、「おじいちゃん、この花なぁに?」
と聞いてみたかった。
そしてその名前を必ず言い当ててしまう祖父を、娘にも見せたかったな。
きっと今頃、娘が写真に添えた花を見て目を細めてるに違いない。