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映画 West Side Story 感想


まとまりのない感想になるだろうけど、
忘れないうちに感想を記録しておきたいので、
映画を見てきた今日のうちに文章に残します。

(ということで、メモを書いていたのですが、投稿するまで日にちが空いてしまいました…。日本語を少し読みやすくしたつもりですが、基本そのままなので、まとまりのない文章となりますこと、ご了承ください…)


言いたいことは山のようにある!でもまずは、音楽がやっぱり素敵!
内容が内容で、どの曲も心から楽しめるものではないから、
この言葉選びはおかしいのだけど、
ワクワクする!!バーンスタインの音楽、圧巻のダンス…
どの曲もテンションが自然と上がってしまう!(笑)
あとマリア役の方の歌声がすっごく好み!!すっごく聴いていて幸せだった~
オリジナル映画も舞台もあまりたくさんは見ていないので、今までの作品との比較、までは出来ないのですが、見ながら考えていたことを記録しておきます。



  • "Separate"

冒頭、喧嘩しているところに警察が来て、止めに入る時の(おそらくクラプキ警部の)台詞。

“Stop!” “Stop fighting!” “Get away from each other!” とかではなく、 “Separate!”

Separateって普通使うかな?離れさせたいならGet away from each other じゃないのかなと思い、 友達にも聞いてみたところ、やはり不自然ではあるみたい。

社会がこの若者達に対してすべきことは、問題の根源の解決。なぜこの若者がこうなってしまったかというと社会的な問題がとても大きい。

だけれども、警官たち、「大人」がするのは、表面上の解決のみ。とりあえず離れて、問題を起こさせないようにするだけ。Separate、というのはジェッツとシャークにわかれろ、ジェッツとシャークは関わるなということ。

ちなみにこの"Separate!" "Separate!" 、(二回出てきます)
日本語字幕では、「やめろ」「離れろ」と訳されていました。
離れろ、分かれろ、グループに戻れ、などというニュアンスなのかな…。

  • 言葉

今回スペイン語がたくさん使われているなと感じました。

スペイン語を用いて相手に理解できないように話す場面があったり、英語よりスペイン語の方が口をついて出ちゃう描写があったり、スペイン語で話すと「英語で話せ」と英語で話すことを強要されたり。たくさんあえてスペイン語の台詞になっていたところがあると思います。

かつて植民地支配をしていた次代、宗主国はまず従属国の言語を禁じ、宗主国の言語を話すよう強制していた。それは植民地の国の文化をなくす、アイデンティティを取り上げる行為でもあったわけです。

千と千尋の神隠しで湯ばあばによって名前を奪われるのも、少し違うけど、似ている気がする。千と千尋の神隠しでは名前を奪うことでアイデンティティを奪おうとしているわけですが。

WSSでは支配されているわけではないけど、やはり「言語の違い」は「文化の違い」と関係しているし、「言語」は「アイデンティティ」とも関係していると思う。

プエルトリコ人たちがスペイン語を使う描写があったと同時にもう一つ今回印象的だったのが、トニーがスペイン語を学ぶという描写。

言語を学ぶ、というのは、相手の文化を尊重するという気持ちの表明でもあるし、なにより、相手の文化を理解しようとする第一歩だと思う。だからトニーがマリアにスペイン語で愛の言葉を伝えようとしたり、理解したりする場面は素敵だったなあ…


  • バレンティーナの存在

プエルトリコ人で、ドックの妻。この物語の数十年前、トニーやマリアよりも前に、白人のドックと結婚していた人。プエルトリコ人ということで、マリアやアニタもよくお世話になっていると同時に、トニーの面倒を見てあげていて、ジェッツのたまり場ともなっている…。まさにこの2グループを繋ぐ人。

そして、それだけでなく、出てくる若者たちが数々の悲劇が起きてからようやく気付くことに、何年も前から気付いている人。

ドックが全く出てこないことに驚いたけど、ドックが出てこないことでいろいろ想像させられる。

ドックとの結婚生活はどんなだったのだろう?ドックはいつ、どのように亡くなったのだろう…?

おそらくこの映画であったような悲劇が二人の時代にもあったんじゃないかな…

それを乗り越えているバレンティーナだからこそ、彼女の言葉の一言一言に深みがあったし、心に響くものがあった気がする。

そしてこれが象徴するものというのは、やはり、「悲劇は繰り返される」「差別はいつの時代もあるもので、今も続いている」ということかな、と。

この作品の終わり方自体、希望があまり見出せないものだと思うのです。悲劇が起きて、若者たちは何か気付いたことはあるし、それぞれ精神的に成長はすると思う。でもだからこの若者たちはこの後どういう風に生きていくのだろうと考えるとあまり希望が感じられない。なぜなら社会は別に変わっていないから。

そしてまたそれを1961年の映画でアニタ役を演じていたリタ・モレノさんが演じているというのがもう…。
若い頃にアニタを演じた方が60年ほど経った今、若者たちを見守るバレンティーナという役で出演されていることで、ご本人の素晴らしさもあるだろうけれども、きっと深く作品のことを理解しているリタさんにしかできないお芝居が生まれたんだろうな、と。昔アニタを演じているというのが、若者の立場や気持ちも身を持って知っているという点で、バレンティーナと重なる点もあるのかな…

リタさんのSomewhere、なんだか涙が止まらなかった。
理由はよくわからない。
この時は泣きすぎて、歌詞が全然頭に入ってこなかったので、
歌詞で泣いているわけではないんですよね…。(笑)

私はこの場面で、ノートルダムの鐘でエスメラルダの歌う「いつか (“Someday”)」と似たものを感じました。
「きっと夜は明けるわ / あたしが旅立つ時に」という歌詞がすごく私は印象的だなと思っているんですけど、エスメラルダは悲劇が起きないと人々は変われないのだとわかっている。そして、そんな中、「いつか」平和な時代が来ることを願っている。
ただ平和が訪れることを願っているだけではなくて、人は悲劇が起きないと変われないとい悲しい事実にも気が付いている。

リタさんのSomewhere にも似た雰囲気を感じました。争いがなくなって平和にみんな分け隔てなく仲良く接することができる時代の訪れを心から祈っているけれども、この争いがどうやっても避けられないものであることを悟ってもいる…。

この映画、人間の醜さ、弱さも描いていると思うんです。
争いはダメだと頭で思ってもやめられるものではないことがよくわかる。
それでも争いを避ける努力は必要ですが…。

その悲しい現実も全て受け止めて、その上で、祈っているように感じられて…涙が溢れてしまいましたね…


  • 客層について

今回、結構たくさんの人が見ていたのですが、客層がとても面白くて。

おそらく1961年の映画を見ていた当時の若者たちなんだろうなと思われる年代の方が大半。田舎の方の映画館とかではなく、駅から近い、若者が多いようなショッピングモールの中の映画館でこれだったので、土地柄とかではないと思う…。(笑)

青春時代にウエストサイド物語の映画を見たんだろうなという人たちがお友達と来ていたり、ご夫婦出来ていたり。何年も経って新しいウエストサイドストーリー見に行こうよ!となっているのなんだかいいなあと思っていたのですが、よく考えると、60年経って何にも変わっていないんだなあということを突き付れる出来事でもあり…とても複雑ですね…


ジェッツが青。シャークが赤。かな…?

Americaのアニタの衣装は黄色。中のパニエは赤。アニタは赤寄りだけども、シャークの人たちとは違うところがあるのがわかる衣装。肌が黒いから?というような台詞もあったし、ベルナルドとの言い合いの中で、アニタはまたバックグラウンドがベルナルドたちとはまた違うんだなというのがわかるけれども、それが衣装にも出ているなと。またそれがAmericaの曲で真黄色のドレスで踊り狂うというのが最高に良いなと。

(このあたり勉強不足で理解しきれていないところがあるのですが、アニタとベルナルド・マリア兄弟では、ルーツとかに違いがある…?だからアニタは黄色…?)

ジムのシーンでのマリアの衣装は、真っ白のドレス。そこにワンポイントの赤のベルト。

白は純真無垢な象徴でもあるかもしれないけど、それ以上に何色にも染まれる、人種がどうとかにとらわれないマリアだからこその衣装かな、と。

踊るのはプエルトリコ人にしろ、同種にしろ、といった内容のことを言い聞かせるベルナルドに対して、マリアは、誰と踊ってもいいじゃないか、というような内容の台詞を言い返していたけれども、
そういう人種で区別しないことが衣装でも表現されているな、と。

そしてこの色がまた象徴的に使われているのが、美術館のOne Hand, One Heartの後のステンドグラスの影。外の光がステンドグラスを通って、床が赤、青、黄色の三色に照らされているカットがすごく印象的だった。あのカットの入れ方はどう考えてもわざとだったからかなり意図的にこのあたりの色を使っているのでしょうね。あの場面はどう解釈すればいいのかわからないけれども、三色は混ざりきっていないけれども、境界線はぼやけているんですよね…。あの美術館の場面の後から、悲劇が次々と起きるから、あの意味ありげなステンドグラスの光のカットは、これからの悲劇を表しているのは明らかかなと思います。これの表していたものについてはまたゆっくり考えていきたいですね。

で、極め付きは最後のマリアの衣装ですね。真っ青のドレス。

あれはどう受け止めるのが良いのかなあ…

最初は青じゃん!グループ(人種)の壁を越えて、恋をしていて、トニーについていく覚悟したんだなって思えてすごく良いように思われたけれども…

今思えば、赤と青の真ん中を取るとかでもなく、真っ青。どう捉えるべきなんだろう…


  • トニーの描写

トニーについてとても細かく描写されていた印象がありました。

過去の話も多かった。過去に何があって、刑務所に行っていたのか。その当時のトニーの心境はどのようなものだったか。

冒頭のリフとの会話から既に、トニーは精神的に成熟して大人になっているのが案じられたのが良かった。またその後も、刑務所に行った時のことを話すことがぽつぽつあって、そういう台詞のおかげで、トニーの全ての言動に納得がいった。

「ただ恋に溺れて、机上の空論で平和を願っているだけ」ではないことが明らかで、トニーなりの葛藤も見えて、良かった。決闘をやめさせるのにどんな思いかがよくわかる。

また、トニーの過去の話が、決闘の場面でベルナルドを理性を失って殴る場面で、すごく効いていた。こんなにいろいろ考えることが出来ていて、精神的に大人になっているトニーでも、理性を失って殴ってしまうこともあるんだ、というのを描いているのが良かった。殴っている時の顔を下からのアングルで映すショットが印象的で。理性を失って完全に別人の顔をしているのが…すごく怖かった。どれだけ頭で理解していても、理性を失ってしまうことはあるし、道徳的によろしくないこともしてしまうのが人間だなって痛感させられる。でも、そのあと、我に返り、とどめの一発をやめるというのがとってもアイコニック。

かと思ったら、やっぱりリフが殺されると、また理性を失ってしまう…。

人間味があるというかなんというか、、、。そういう丁寧な描写があることでとてもリアルに感じられました。


  • 変わりゆく街

この映画は町のあらゆる建物が取り壊され、街全体が作り変えられているという様子をたくさん描いているという印象。

映画は、工事の様子を上空から映すところから始まるし、立て看板やシュランクたちとの会話の中からも、街がきれいに生まれ変わろうとしていることが何度も出てきます。そしてそのためにはジェッツたちもシャークたちも邪魔者とされていることも何度も。

ふと思い出すのは、街にホームレスがいるから、その地域で野宿をするのを禁じて、追い払うというような話。これでは表面上は問題が解決したように見えるけれども、問題の本質は全く解決されていないどころか、さらなる問題を生んでいるだけだということ。

結局、この警官たちは、問題から目を背けているだけであるし、若者たちと向き合うことを避けているだけだということが伝わってくる。

街は変わっていくけれども、それはあくまでも表面的な部分のみ。建物はきれいになっていくけど、中身は変わっていない…。

この若者たちはこのあとどう過ごしているんだろうと思わずにはいられないですね。このまま居場所を追われず、このまま住んでいくことができるのかな…

彼らは悲劇を通して、縄張り争いはやめたかもしれないけど、居場所が見つけられたかは不確か…。



ひとまず、映画を見てすぐに書いたメモはここまで。
Disney+で配信も始まったので、また映画を見直して、感想、アップデートしていきたいですね、、、
あとは他の人といろいろ話し合ってみたいな~
人によって感想が全く違うので、いろんな話を聞いてみたい…!

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